新聞をどのようにして読むべきかを考える_前篇

新聞をどのようにして読むべきかを考える_前篇

 

僕の尊敬する知識人に池上彰氏と佐藤優氏が居る。

池上彰氏は「わかりやすい」情報のスペシャリストで、初心者が見るとまごついてしまうような難解な出来事や現象を非常に整理して教えてくれる。無駄な部分を割き、難解な用語を平易な表現に改めてくれるので驚くほど読みやすい。本人曰く「子どもにもわかるように」という目的意識がはっきりしていているため、ニュースや新聞を読むのと並行して池上彰の本に目を通すことで新しい情報を素早く理解するのに非常に助かっている。池上彰氏は自分の意見と言うものを言うことが少ない。事実を分かりやすく伝えると「さあ皆さんなら、この問題どう考えますか?」という問題提起で終わることが多いイメージがある。

 

一方の佐藤優氏は元々外務省の官僚。それも情報分析を専門にしていた人で今でも月に2冊、90の連載を抱えているという常人離れした仕事量に加え、これまた桁外れの情報処理能力を持っているようで月平均300冊の書物に目を通しているとのこと。佐藤優の本はあらゆるバックボーンの知識を応用したものの見方を展開する人で、普段何気なく見過ごすような情報から驚くほど重要な意味を読み解くので、発想や思考が狭くならないように考えて読むのに適しているイメージがある。佐藤優氏は自分の考えを主張する人で、これを批判的に読むとかなり知的作業になる。また学習した内容を佐藤優流に入門書として書いている場合もあるのでこれも気になるものには目を通しているが、出版ペースが速く読む量が出る量に対して一向に追いつく気がしない。

 

そんな両者が情報収集のノウハウをまとめたのが東洋経済新報社から出版された『僕らが毎日やっている最強の読み方』。一章が新聞、二章雑誌、三章インターネット、四章書籍、果ては五章教科書・学習参考書に関してのそれぞれの意見や実際の使い方がまとめられている。この本が凄いのは両氏が見ている情報源の一覧表がついていること、正直この本で初めて知った情報源の存在も多かった。例えば新聞では不足気味な国際情勢を知ることができる『ニューズウィーク日本版』や『ウォールストリートジャーナル日本版』、無料で簡易ながら今日一日の情報をざっと見渡せる『NHK NEWS WEB』、ネット上の有料辞典サイト『ジャパンナレッジ』などはまず知らなかったし、他にも紹介されていた阿刀田高の『旧約聖書を知っていますか』などの古典入門シリーズは愛読書になった。

 

唯一問題点はこの二人が凄すぎて参考にならないこともあるという点だろうか…。鍛えれば何とかなるのだろうか?

 

そんな中で今回は特に興味深かった2章の新聞の使い方、そして5章の教科書・学習参考書に関する情報をもとに素人でもできる情報収集の手段を考える。

 

まず考えておきたいのが、全国紙だけでも『朝日新聞』、『讀賣新聞』、『日本経済新聞』などなど、数ある中でどの新聞に目を通すかなのだが彼等にはそんな問題はそもそも生じない。何故ならすべてに目を通すからだ。

池上氏が毎日11冊(余談だが最近か刊行されたNHK出版の『おとなの教養 2 私たちはいま、どこにいるのか?』では地方紙含め14冊になっていた……)。そして佐藤氏が10冊と常軌を逸した数字が書かれている。

新聞は文字数で換算すると大体新書2冊分になるという、もし11紙もまともに読んでいると一日に22冊の新書に目を通したことになる。これは現実的に不可能な数値だ。

 

それでは二人の新聞の読み方を簡単にまとめておこう。まず池上氏、彼が一日に新聞を読むのに使う時間はおよそ1時間20分程度。朝は大体20分、記事を読むのではなく見出しを中心に目を通す。各新聞の紙面の比較をやっているのに近いとのこと。夜には朝気になった記事を中心にして全体に目を通す、これが1時間。それでここが時間の使い方の上手なところで、池上氏はさらにここで重要だと判断した記事は切り抜いてジャンルごとのファイルに入れいつでも読めるような状態にしておき、移動時間や原稿を制作する時に精読するそう。

佐藤氏はタイムウォッチで時間を計測しながら2時間で収まるように目を通す。また半数以上が電子版で、気になった記事はネット上のクラウドに保存しているそう。外交官時代は5~6時間はかけて読んでいたとのこと。

 

10~11紙を1時間20分~2時間で読了するにはまともにすべての文字を追っていては埒が明かない。では両氏の新聞の活用法を見ていこう。

池上「読むといっても、一字一句すべてを通読する必要はありません。新聞はあくまでも「飛ばし読み」が基本」、佐藤「見出しを見て、読むかどうかを迷ったら読まない」。

さらに池上は「見出しだけで済ませる記事」「リードまで読む記事」「最後の本文まで読む記事」の3段階に区分しているそう。

電子版は見出しのみを俯瞰して見れるため速く読める、紙の場合は切り抜き、保管がしやすいという意見。

保管に関しては気になる記事のあるページはまるごとちぎってしまい、分類などはせず紙袋に寝かせてしまう。あとで重要と判断した記事は「政治」「経済」「国際情勢」などに分類しクリアファイルへ。記事がたまってきたら細分化ジャンルを細分化していく。

保管に関しては気になる記事のあるページはまるごとちぎってしまい、分類などはせず段ボールに寝かせてしまう。あとで重要と判断した記事はスキャナーでデータ化。分類などはせずエバーノートに保存し紙面は廃棄。エバーノートは検索機能が充実しているためジャンル分けが不要とのこと。

整理にかける時間をどれだけ省けるかがカギのようだ。

「続けているうちにコツがつかめ、必要な情報を得るスピードも上がっていきます。関心分野なんて、新聞をパッと開いた瞬間、キーワードが目に飛び込んでくる」らしい。未だにパッとしないのは興味が持ててないからなのか?

もちろん新聞10紙をいきなり始めるのは無理ということは書き手も承知のようで、「最低でも2紙」からを推奨している。相性のいい新聞と論調の違う新聞を併読して比較検討しながら読むのが効率的であるとして、例えば保守系とリベラル系とか、地方紙と全国紙とかの組合せをあげている。

 

僕は図書館で息巻いて全国紙5紙を読もうとして挫折した経験がある。いつまでたっても終わらないのだ、終わったころにはへとへとで勉強に手がつかなくなってしまった、何事も無理は禁物。佐藤氏も「1日5分でもいいから継続して新聞に目を通す習慣を」と言っているのでそれに従う。

 

結局現在は毎日見るのは地方紙の『山陽新聞』、デジタル版の『朝日新聞』(980円の簡易版)に、NHK WEB NEWSにとどまっている。大体これだけでも1時間30分~2時間かかっている……。全国紙に目を通すのは時間的にも資金面でも難しそうだ……。

 

そんな中嬉しい情報が手に入った。最近佐藤氏が刊行したSB新書で『調べる技術 書く技術』の中で月刊雑誌『新聞ダイジェスト』に言及しており、早速購入して部分的に見ているのだがとても良い感触。こういうのはもっと早く知りたかった……。ざっくり言うと「ひと月分の全国紙(『朝日』『讀賣』『毎日』『産経』『日経』)+『東京新聞』による6紙の新聞記事の中から重要なものだけを集めてまとめたもの」といった感じ。それに連載企画として6大新聞の社説の読み比べがあり各紙の特徴を比較してみるのも面白い。これさえ見ればひと月分の情報は大体手に入れることができる。ひとつ残念なのは内容が2カ月前のものになってしまうこと。2019年6月号では4月分の新聞記事の総まとめとなっている。価格は税込み972円で全国紙をすべて買いそろえるより断然お得。ページ数は170ほど。ひと月で読むにはちょうど良さそう。

 

そして新聞を読むコツとしてもうひとつ基礎知識の有無がこの両氏と素人の隔絶した差を生み出している原因を生んでいると僕は思っている。それに関して書きたいのだが文長々と書いてしまったので次回へ。

庭の隅からお送りいたします。①ダンゴムシのはなし

庭の隅からお送りいたします。

 

2.ダンゴムシのはなし

植木鉢を持ち上げるとそこには狭いながら独特の生活圏が顔を出す。暗くてじっとり湿度の高い空間にはいつもの顔ぶれがある。ムカデ、ナメクジ、ゴミムシ、そして今回の主役ダンゴムシだ。ダンゴムシは何か危険が迫ると団子のように丸くなる姿からその名前がついた。丸くなって外部から身を守ると言う発想は決してダンゴムシの専売特許ではなく、マンマルコガネ(全長5mmほどの甲虫でその身体の丸め方は洗練されており造形美すら感じる)やイレコダニ(こちらも小さく1mmもないが丸まることが確認されている)が居て、哺乳類にもアルマジロハリネズミと種を超えて存在している。ダンゴムシは一風変わっていて、特徴的なのはその身体の作り。体の外殻を次の外殻に収納している。例えるならばトランプカードを重ねて一枚の状態にしておいて、それを広げて扇状にするような感覚に近いだろうか。歩いているときは重ねていて、団子になる時に全開にするのだ。そういう構造もあり身体が思いのか動きは非常にゆっくりとしており捕まえやすい。

日本には150種類ものワラジムシ目(ダンゴムシの仲間)が存在しているらしい。庭でよく見かけるダンゴムシオカダンゴムシで、ヨーロッパ原産。明治時代に入って来て、人目に入ってくるようになったのは昭和になってからだったらしい。最近は新しくハナダカダンゴムシが入ってきており日本で確認されたのは1990年代のことだそうで横浜・神戸を起点に広がっているらしく、この分布拡大は近年日本に入って来て騒ぎになったヒアリと同じでおそらくコンテナについてきたのだと思う。

仲間にワラジムシがいるが、これは見た目がダンゴムシによく似ているがじっくり観察すると少し平べったく刺激を加えても丸まれず素早い動きで逃げて行ってしまう。ダンゴムシやワラジムシなどの仲間は等脚目の名前のイメージだったのだがいつの間にかワラジムシ目になっていた。ワラジムシ目では10亜目中ワラジムシ亜目以外は水中暮らしのものが大半で誤解を招く名称ではないかという批判もある。

ダンゴムシに関して興味深いのはオカダンゴムシに様々な色があることで、赤っぽいのから黄色っぽいやつ、体の半分が白っぽいやつ、青いやつと幅がある。赤や黄は個体差らしい。半分白いやつは脱皮中で、ダンゴムシが脱皮する際にまず後ろ半分を脱いで、後日前半分を脱ぐ。そのため上半身だけ白いダンゴムシがしばらくうろうろすることになる。どうして一気に脱いでしまわないのか?一説には脱ぎたては身体が柔らかく脚がしっかり動かせないので移動手段を残すためや、柔らかい部分は水分の蒸発がしやすいので乾燥防止のためといった理由があるらしい。

そして青いダンゴムシは今回調べて初めて知ったのだが、単なるレアカラーではなくイリドウイルス科に感染した個体だったらしい。病気が進行する程青みが増していき最終的に死に至るそうで、青くなってから大体1~2カ月で死んでしまうそう。珍しい青いやつがいるなぁと喜んでいたのだが、ダンゴムシの立場になって考えて見ると複雑な気分になった。

ワラジムシ目は仲間に港でよく見かける恐ろしいほど動きの速いフナムシ(防御力を捨て足の速さに特化した姿。実際に見たことがあるがゴキブリよりも速い)や海に棲息する巨大ダンゴムシの名で注目を集めていたダイオウグソクムシ(全長40㎝を超える巨体。丸まろうとするそぶりは見せるが丸まれない姿に愛嬌がある)、魚の口に寄生するウオノエ(海釣りをして釣れた魚の針を取ろうと口を開けた途端、目に入りびっくりする。見た感じは大型の白いダンゴムシ。鯛に住むのはタイノエ、フグに棲むのはフグノエと魚ごとに種類が異なる)などがいる。

ワラジムシ目でないにも関わらずそっくりな形に進化したタマヤスデやヒメマルゴキブリなども存在している。ちなみにダンゴムシの学名はArmadillidium(アルマジリディウム)で、アルマジロがその名の由来になっている。さらにさかのぼるとアルマジロは「武装した」を意味するアーマードから来ているとのこと。種を超えても「丸まることで防御力を高める」といった進化を遂げた種を見ていると進化の奥深さを感じずにはいられない。

 

余談だがバンダイカプセルトイで全長140mmにもなるダンゴムシを販売している。身体の構造を細部まで研究して再現したらしく可動部もしっかりしていてちゃんと丸めたり広げたりできるらしい。しかもガチャポンから出るときにカプセルに入った状態ではなくて丸まった姿のまま出てくるというこだわりよう。面白そうなので探しているのだが今のところ見つかっていない。

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。

以上庭からお送りいたしました。

庭の隅からお送りいたします。①テントウムシの色についての考察

庭の隅からお送りいたします。

1.テントウムシの色についての考察

 

庭に咲いたハルジオンの葉に赤くツヤのある姿が目に留まった。近づいてみるとやはりテントウムシだ。テントウムシはゆっくりと動くので静かに手を歩いているそばに寄せるとそのまま指を登って来るのでゆっくりと観察することができる。

丸いボディに赤と黒コントラスト、ツヤのある体。漆塗りの器のような意匠をこらしたデザインに見えてくる。

テントウムシは漢字で書くと天道虫。手に這わせると上へ上へと歩いて行き、頂上まで来ると飛んで行ってしまう姿がまるで天へと昇っていくように思えたのだろう。

虫の中でも人気者でそのかわいい姿からか様々なグッズが出ており、ブローチにまでなったりする。同じような形のマルカメムシとはその人気には雲泥の差がある。

さてこのテントウムシ、前々から思っていたのだがどうしてこんなに目立つ色をしているのだろうか。春の野原に目を凝らすと緑一面の世界に赤がはっきりと映えて、最も見付けやすい虫のような気がする。まるで見つけてくださいと言わんばかりの色なのだ。隠れる気がまるでない。そのくせ動きも遅くもし敵に見つかろうものなら捕まってしまうのも時間の問題だろう。

一説にはこの赤に黒の配色は警戒色と言われている。警戒色を使っている虫で有名なのは蜂の仲間で、黄色と黒の縞模様という目立つ姿は敢えて目立つことで危険というイメージを印象付ける役割を果たしているらしい。つまり鳥が襲うと、針や顎で応戦し、鳥にあいつは食えない奴だと覚えさせ、次回から見ただけで敬遠させることができるという仮説だ。

警戒色の代表格は毒持ちだったり、頑丈な顎を持っていたりとにかく厄介者の性質を持っている。中にはそんな強い存在の威を借りて、ちゃっかり配色だけまねる横着者もいるにはいるのだが。

さてではテントウムシには何があるだろうか、テントウムシを触る時に気をつけたいのは刺激しすぎると横腹から黄色い液を出してくること。そしてこの液が結構臭い。とは言えカメムシほどではないがあまり気持ちのいいものではない。中にはテントウムシを実際に口に入れ味を確かめたという人がいたが苦みがあり、15分ほど口に残るような味であったらしい。これで臭いと不味さを強調するための警戒色としているのだが、私にはどうも納得できない。なぜなら同じように臭いと不味さをもつカメムシの種類の多くは地味な色をして自然に擬態している。特徴的なアカスジカメムシですら木の幹に沿って並べば立派に隠れることができる。それにテントウムシは日本に180種確認されているが、赤い大きな丸に黒い斑点のものだけではなく、黒を基調としたものもいれば、赤に白い斑点のもの、反転の数や大きさが種類によって異なることも不思議だ。こんなに幅があると警戒色を覚える側も大変だし、もし覚えてもらえなければ悪目立ちということになる。第一赤は熟れた木の実や果実の色で鳥にとっては美味しそうな色なのだ。リスクが高い、なぜわざわざ赤なのか?

ひょっとしたら警戒色とは別の意味合いがあるのではないだろうか。というのも、テントウムシは赤くて丸いと熟れたトマトのようにおいしそうな色をしている。そこに黒い斑点がいくつかある。ここで考えて見て欲しいのだが、赤いトマトに大きめの穴がぼこぼこと開いているものを食べたいだろうか。おそらく虫食いやカビによって変色した旬の過ぎた腐ったトマトのように見えないだろうか?そう考えてテントウムシの図鑑を眺めて見ると、ほとんどの種類が腐った木の実や果実を連想させる配色に見えるのである。ウンモンテントウムシなんかは完全に腐って見える。他にもテントウムシの仲間にはトホシテントウやツシママダラテントウムシなどの毛の生えた種類もおりこれなどはカビを連想させる。

警戒色以前にテントウムシは腐った木の実、果実に擬態しているのではというのが今回の帰結である。先に臭いがあって色がついてきたのか、色があって臭いがついたのか、それとも両方同時期にその性質を手にしたのかは不明だが、少なくとも警戒色だけで安心してはおられずあの色に落ち着いたのではないか。テントウムシ自体は「腐ってるから食べられないよ」という変装の安心感の中でゆったりと移動しているとも考えられるのである。

ここまで読んで下さりありがとうございました。

以上庭からお送りいたしました。

 

島を食べる虫?_ナナツバコツブムシ

島を食べる虫?_ナナツバコツブムシ

 

広島県東広島市安芸津町赤碕の沖にある小さな島,ホボロ島に奇妙な現象が起きています。何と島があれよ、あれよという間に小さくなっていっているというのです。もちろん雨風に曝されているのですから、多少の変化はあるはずですが、このホボロ島に関しては目を見張るほどのスピードで風化が進んでいる状態です。

昭和3年と31年に発行された2万5千の分地形図,三津図幅では,この島の高さは21.9mと標記され,長径が120m+だったはずなのが,2007年の時点で高潮位時の海面上に見られる部分は,高さ6m・幅が83mに足りない搭状の岩石が島の西端に一つあるにすぎない状況になってしまいました。

周りの島はそれほど変化がないにも関わらず、なぜかこの島だけが凄い勢いで小さくなっていくのはどうしたことなのでしょうか。2007年、沖村雄二広島大学名誉教授らの研究によって、実は犯人は小さなダンゴムシの仲間ナナツバコツブムシという生き物だったということが明らかになりました。

 

ではこのナナツバコツブムシとは何者なのでしょうか。大きさは10㎜ほどで、見た目はダンゴムシによく似ていて岩に擬態するためか白、茶、黒といった色が存在し、丸まることができます。海中のプランクトンや魚介類の死骸など有機物を餌にしていると考えられていて、噂のように島を食べて生活しているわけではなさそうです。彼らが島を掘る理由は巣穴を作るためです。脆くなった凝灰岩を下あごと堅い歯を用いて砕いてまっすぐ掘り進めて巣穴を作る習性があるのです。脆くなったと言ってもやはり岩石、自分がやっと入れるほどの小さな穴なので外敵も手が届きません。

 

ホボロ島では風化作用によって岩が軟化しており、そこにナナツバコツブムシが大量発生して思い思いに巣穴を掘っていきます。無数に彫られた穴は波で削られ穴同士がつながって大きな穴となり、そこに巻貝やカニが棲息します。こうして穴だらけになった島は、表面からどんどんと強度を失っていき浸食作用が加速して、上位の岩石の崩落を招き、島自体の風化に歯止めが利かなくなっていったようなのです。

 

ホボロ島の名前の由来はその地方で使用されていた竹籠(ホボロ)をひっくり返した姿に似ていたことから。今では削れてしまいその面影は有りませんが当時は周囲250mほどの規模の島だったそうです。

最高の土地が見つかったとせっせと数を増やし続けるナナツバコツブムシですが、予測ではこの調子で島の破壊が続くと100年ほどで無くなってしまうそう。「おごれるものは久しからず」ではないでしょうが、せっかくの住処自体が消えてしまうのも時間の問題のようです。

 

 

さて振り返ってみれば地球という大きな島に住んでいる我々も彼らを馬鹿にできないのかもしれません。問題が起きていることや未来を予測できるのが人間の特徴です。温暖化や異常気象、資源の現象というシグナルを受けながらこの地球という島を無くさぬようどうするか。このままずるずると島ごと消えるか生き残るか……。ナナツバコツブムシの小さな行為が大きな結果を招いたように、個人個人ができることをやるだけでも思った以上に大きな成果が望めるのではないでしょうか。ナナツバコツブムシは小さな生き物ですが、そこから学び取れることもたくさんあるのではないでしょうか。

 

 

参考サイト 一覧

 

日本の島へ行こう ホボロ島

http://imagic.qee.jp/sima3/hirosima/hoborojima.html

 

日本地質学会 地質フォト:瀬戸内海中部、芸予諸島ホボロ島の生物浸食作用

http://www.geosociety.jp/faq/content0012.html

キソウテンガイ__唯一無二の奇想天外な植物

キソウテンガイ_唯一無二の奇想天外な植物

 

珍しい名前の植物は数多くあれども、ここまで直球の名前も珍しいのではないでしょうか?

アフリカ南西部の砂漠に自生する裸子植物で、ナミビアの国花でもあるWelwitschia mirabilisは、その珍しさからキソウテンガイの和名をもっています。

一体何が奇想天外なのでしょうか?今回はこの植物を紹介していきたいと思います。

 

●葉っぱが2枚だけしかない

植物と言えば通常は青々と葉の生い茂った状態を想像するのではないでしょうか。

ところがキソウテンガイ子葉が出た後はたった2枚の葉で生涯を暮らすのです。

写真によってはそれ以上の葉があるように見えますが実は根元で繋がっているため、実際には2枚です。

葉は年々伸びていき中には4mを越してしまうこともこうなると葉っぱだけで直径8メートルの大きさになってしまいます(※一説によると一枚の葉だけで7mを超えているものあったらしいです。)

こうなると世界最大の葉をもつとされるオオオニバス(直径3メートルの丸い葉っぱになる)よりも長さがあるということになります。

世界最大の花をつける植物においても横の大きさのラフレシア、縦の大きさのショクダイオオコンニャクが容認されているのなら面積は小さくとも長さのあるキソウテンガイも最長の葉を持つ植物に名のりを挙げてもいいのではないかと思います。

 

この葉っぱには気孔という呼吸や水蒸気のやりとりを行う穴が両面にあり、根から吸い上げた水分を蒸発させ砂漠の厳しい環境に適合しているようです。

カラカラの砂漠で水分を集めるために、地中深くまで根を張るのですが一説には10メートル以上も根を伸ばすと言うから驚きです。

 

●花をつけるまでに25年もかかる。

キソウテンガイは寿命の長い植物でもあります。

その寿命は1000年を超えるとも言われているそうで、その特徴のひとつに成長が遅いということがあげられます。

花をつけ種子をつくるのには25年ほどもかかるそうです。桃栗三年柿八年と言いますがキソウテンガイの25年は破格の長さです。栄養のない砂漠でじっくりと準備をしていくわけですが、焦らず気長にチャンスを待っているのですね。

ちなみにキソウテンガイは雌雄異株(しゆういしゅ)です、つまり一本ごとに雄か雌かの区別があります。

雄の株には雄花(おばな)だけ雌の株には雌花(めばな)だけがつき、雄花からの花粉を雌花が受粉することで種子をつくることができるわけです。

 

ナミビアの国花として

ナミビアの国章にはサンショクウミワシ、オリックスに続いてその下に緑色の植物が描かれていますが、これがキソウテンガイです。

砂漠の中でも力強く生え、長い寿命を持つキソウテンガイは「生存・不屈の精神」を意味するそうで、ナミビアの国花にも選ばれているほどです。

 

キソウテンガイは1科1属1種で類似した植物が見つかっておらずまさに唯一無二の植物のようです。日本で最初にこのキソウテンガイの名は園芸職人の石田兼六氏が1936年に命名したとされていますがこれは学名であるWelwitschia mirabilisから来ています。

Welwitschiaはこの植物を発見した博士の名前、そしてmirabilisは驚異のという意味です。海外で発見されたその瞬間から驚きをもって迎え入れられた様子が伝わってきます。

 

このキソウテンガイなんと日本でも見ることができます。

京都府立植物園では今でも元気な姿が確認できるそうです。いつかこの眼で見てみたいものです。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

だんだん植物のようになっていくウミウシ_盗葉緑体現象

葉緑体現象

 

生物学では何かを食べなければ生きていけない生物を従属栄養生物といいます。食物連鎖の頂点に立つライオンやワシでさえ食べるものが無ければ生きてはいけません。そういう意味では皆食べ物に従属、つまり依存しなくては生きていけないのです。

 

何故食べ物を食べるのかと言えば、体を構成するために栄養が必要だからです。生物の体の大半は炭素、水、酸素で構成されていますが体で使うには、まず使える形になっていなくてはいけません。人間は糖、アミノ酸脂肪酸を主に使って生活しています。基本的に外部から入って来るでんぷん、タンパク質、脂質を分解して使える形に加工します。

だからと言って最も基本的な炭の塊や窒素、水を口にしても人間は栄養が足りなくなって倒れてしまいます。これは人間がそもそも糖分や一部のアミノ酸を作れないからです。

さらに人間の身体で使用可能な糖やアミノ酸をとっていても、どうしても作れないものをビタミンやミネラルと呼びます。ビタミンは有機(基本的に炭素、酸素、水で構成される栄養素)、ミネラルは金属を意味します。どちらも外からとるより他はなく、もし不足すると欠乏症になり身体に様々な不調が現れてしまいます。

それでは利用可能なエネルギーはどこから来るのかと言いますと、植物に行き着きます。

植物は太陽光と水と二酸化炭素から糖やビタミンなど使いやすい形に加工することができるのです。自分で栄養を作れるので独立栄養生物と言われています。肉食動物も草を食んで栄養を蓄えた草食動物を狙い生計を賄っています。植物が地球上から消えてしまうと困るのは、酸素の問題だけではないのですね。

 

以上のような問題から毎日食事について考えざるを得ない世界を生きる羽目になった動物なのですが、動物界には変わった解決策もあります。それが今回紹介する盗葉緑体現象と呼ばれるものです。

葉緑体とは植物を緑たらしめる植物細胞の構成要素で、ここがまさに光合成の現場です。植物は自身で栄養を作れるので地面に根を張って食事をすませます、ところが動物はそうはいかない。そこで植物の栄養生産工場を奪って自分のものにしてしまおうと考えた生物がいました。

 

Elysia chloroticaは生まれたての状態では真っ白なウミウシなのですが藻類を食べることで緑色になっていきます。まず植物を普通に食べるのですが、その際に葉緑体だけを特別な膜に包んで消化しないように体内に入れて再利用するのです。葉緑体さえあれば食事に悩む必要はもうありません。それに体の色も植物そっくりになれるので、背景に隠れることができ外敵からも襲われにくくなります。しかし外から強引にとった葉緑体です、メンテナンスもできないままではすぐにダメになってしまう気もするのですが、体内に入った葉緑体はある報告では1年以上も持つと言われています。

実はこのウミウシの核には葉緑体を長持ちさせる遺伝子が入っていたのです、それにしても葉緑体を持っていないはずの生物がなぜこのような遺伝情報を持っていたのでしょうか?現在はウイルスに感染するなどして藻類の遺伝情報が偶然伝わったと言われています。

 

ちなみに葉緑体はもともと藻類だったものが別の細胞に取り込まれ共生するようになったと言う共生説が一般的になっています。

さらに動物細胞に存在し酸素を使ってエネルギーを生み出しているミトコンドリアも好気性細菌が嫌気性細菌に取り込まれ共生したと考えられています。面白いことにこれらの構造物は独自に遺伝子を持っていて半自立的に分裂・増殖が可能なのです(通常は細胞の核に全ての遺伝情報が詰まっているはず……)。どうして半自立かというと長い期間一緒に居たせいか、葉緑体ミトコンドリアを作るための遺伝子が自前ではそろわず、細胞の核に依存しているケースも多々あるからなのです。

 

Elysia chlorotica葉緑体を利用している姿を見ると遠い我々の先祖、と言ってもその頃は似ても似つかぬ細胞だった頃に食べた細菌の名残があると考えて見ると自分の体ながら不思議な感じがしてしまいます。

 

人間も野菜をずっと食べているうちに肌が緑くなって、食事が要らなくなる未来もありうるのでしょうか?これで地球上の食糧問題も解決といった形でしょうか。でもそうなると、栄養は十分あるあるから空腹感や食べた後の満足感はなくなってしまうかもしれない。それは果たして幸せなのか……。

 

想像がとまりません。

地球にはまだまだふしぎがいっぱいです。

 

 

お付き合いいただきありがとうございました。

雑草あれこれ_外来生物のしたたかな生存戦略

雑草あれこれ

 

 暖かくなったと思えば急に冷え込む日が続いています。

 本日はそんな中でも臆することなく咲いている雑草に関してお話をしてみようかと思います。

外来種は動物だけではなく植物でも有名なものがあります。雑草として猛威を振るうセイタカアワダチソウや小学校ではおなじみのアサガオも元々は海外からやってきたと言われています。新しい生物が入って来ますと昔から自生していた種(在来種)との勢力争いになります、土地や栄養は限りがあるのでどの種も必死です。

 

人の手によって国内に入ってきた植物が自生すると、帰化植物と呼ばれます。観賞用のものが野生化したり、種がコンテナについていてそれが発芽したり色々な経路があります。

野草として名高いタンポポも、在来種と外来種がしのぎを削りあっているのですが、この戦い単なる領土争いではなく思わぬ方向に進んでいるらしいのです。まずはタンポポについて見てみましょう。

 

もともと日本にいたタンポポニホンタンポポと呼ばれます、外来種には2種類あってセイヨウタンポポアカミタンポポがあります。

ニホンタンポポ外来種の簡単な見分け方を書いておきますで、もし気になる方がいたら確認してみてください。タンポポの花の裏側、茎とのつなぎ目にあたる外総苞片(がいぞうほうへん)が沿っていないのがニホンタンポポ、一方で沿っているのが海外のタンポポです。

さらにセイヨウタンポポアカミタンポポを簡単に見分けるには種子を見てください、綿毛の下についている種が茶色いのがセイヨウタンポポ、より赤みがかっているのがアカミタンポポです。

 

さて外来種から見るとアウェイ戦なので慣れない環境でどのようにして勢力を伸ばすかがカギになります。植物は動けもしないし、進化にも時間がかかる、地域密着型の生物なのですから慣れぬ海外で勝ち抜くにはよほど優れた特性がないと厳しいものがあります。

そんな中セイヨウタンポポがとった行動は積極的にニホンタンポポへアプローチをかけることでした。つまり雑種にあえてなることで慣れない環境に適応しようとしたのです。

もし全滅してしまったら自分たちの種がここで終わってしまう、それよりは半分でも自分の性質を残せる方法を選びました。

 

雑種となったタンポポセイヨウタンポポそっくりになっているため先ほど書いた方法では見分けがつかずDNA検査をして判明することも多いのです。このようにしてじわりじわりとセイヨウタンポポは勢力を伸ばしていっていたのです。

最初から居たニホンタンポポには迷惑千万、セイヨウタンポポはしたたかです。しかしもしこの雑種が海外に進出すればただのニホンタンポポよりも異国で生きていけるかもしれません。果たして種がそのまま残るのが良いことなのか悪いことなのか、なかなか難しいところです。

 

タンポポは食べられる野草としても名高いです。葉だけではなく茎、根、花も食べられるというから無駄がありません。交雑することによって味は変わっているのか?味覚で判断できる人もひょっとしたらいるかもしれません。気になりますね。

 

続いて最初に名前を挙げたセイタカアワダチソウについてもお話を。

セイタカアワダチソウは明治時代も終わりを迎えようとするころに園芸目的で国内に入り、大正末期には野生化が進んでいたといいます。荒れた土地に容易に生えるため戦後土地が開いたところに一斉に広まったそうです。土地の栄養状態が良いとその高さは3~4mほどにもなり、またすごい勢いで増えていくため問題にもなりました。現在でも環境省は重点対策外来種に指定しています。

 

セイタカアワダチソウアレロパシーを行う植物として有名です。アレロパシーとは植物が放出する化学物質が他の生物に阻害的あるいは促進的な何らかの作用を及ぼす現象を意味します。簡単に言えばセイタカアワダチソウは自身で作った除草剤(cis-DME)をまきながらライバルを抑えていたのです。このcis-DEMは他の植物の発芽や成長を邪魔します、こうして独り勝ちの状況を実現していたのですね。

ところがある研究では、自身で出した高濃度のcis-DEMで自分も成長できなくなることが判明しました、何事もやりすぎは良くなさそうです。

 

派手な花をつけるセイタカアワダチソウですが花粉は最小限しか出さず虫に運んでもらい受粉をしています。一時期花粉症の原因と濡れ衣を着せられていたがもともと花粉は少なくコストを最小限にしています。

 

 

生き抜くためにベスト尽くす生物たちの生存戦略には思わずハッとさせられるものが少なくありません。何か困難な問題に直面したら何気なく見過ごしている植物に知恵を借りれば打開策につながるかもしれません。