子どもいう名の科学者たち

子どもという名の科学者たち。
 ※最初に申しておきますがあくまで個人的な意見です。
 
 私は大学で生化学や植物学の講義を受けていたことがあります。どういうことを学んだかと言いますと生物がどのようにして食べ物をエネルギーとして取り込んでいるか、体に必要な物質に変換しているか、植物の構造はどうなっているのか、どうして植物は上に伸びられるのかなどなど……。ともかく何故?どのようにして?を純粋に追及して行った次第です。
 己の好奇心が満たされ、自身の知識がついていく実感がありました。なるほどね、世界はこういう仕組みで成り立っていたのか。そういう風に楽しい時間を過ごしていたのです。
 ところが、ある日私の自信は幼い子どものたった一言で崩れてしまいます。
 彼が言ったのは「植物に詳しいんでしょ?あの葉っぱなんて言うの?」でした。
彼らが指さしたのは地を這うような植物でした。ちぎると断面から木工用ボンドによく似た真っ白な液体が出るからボンド草と呼んでいました。
 私は黙ってしまいます、よく考えたら光合成の仕組みや細胞の構造、どういうタイミングで発芽するか……など色んな知識があったのですが植物の名前に関しては素人も同然でした。急いでスマホの植物図鑑を開いて子どもたちと一緒にあーだ、こーだと言いながら同定し始めたのですが……。
自分の至らなさと高慢さを恥ずかしく思ったものです。
物事の本質を追いかけるあまり大事なものが抜け落ちてしまっていたわけです。
そうやって冷静に見てみると、科学的な発想と言うのはどういうものなのかを改めて考えるきっかけになりしました。

想像してみるに大昔の人々は自然現象と切っても切れない仲であったのでしょう。今のように科学技術で自然を限界はあれどもコントロールしようという発想はなかったのではないかと思います。
例えば、多神教の神話では多くの神は自然や農耕などのモチーフが使われ、一神教でも人は神に服従するものとして描かれています。そしてそのどちらに関しても人は神の上に立てませんでした。よくて対等、多くは下の存在です。
彼らは謙虚に自然を観察し、そこにキャラクター性や絶対的な力を感じとり神話へこぎつけた気がするのです。そういう点では神話は最初の科学的思考の軌跡と考えてもいいかもしれません。もちろんこの発想が現代のような科学に発展するにはかなりの年月を要したわけですが、少なくとも観察から仮説まではやっていたのです。

科学はこの世界の真理を解き明かす学問です。
この真理は例え私が死んでも、この地球が滅びても、宇宙が崩壊しても存在します。
最初は簡単な問題と答えのつながりも、だんだんと複雑化し対象とする分野も難しくなり答え自体も抽象化していきます。
人はなぜ生まれてくるのか?死ぬということは何か?時間と言う概念は実際にあるのか?物事を極限までミクロに考えるとどのような挙動をするのか?遺伝子をいじればどのような生物も誕生させることができるのか?
まったく終わりなき謎が我々を待ち構えているわけです。今でも最高峰の知識を携えた人々が最先端の技術を用いこれらの難問に挑戦し続けています。
当然その最先端が気になるわけですが、そこで十分に注意しておきたいのは「科学は目の前の謎を解くことから進化した学問」だということです。こういう視点があればこそ人は自然を愛しなおかつ科学を愛せるのだと思うのです。
繰り返しになりますが、科学は高度になればなるほど無機質です、物事は極端に抽象化され、分解され、その本質だけが現れてきます。しかしその始点はいつだって有機的で、複雑で、全体的な謎に満ちた「何だ、これは!?」の集合であったわけです。
全ての植物を単に光合成する生物の一群と思わずに、一つ一つの植物をじっくりと眺めると思いがけない発見があります。そしてそういう視点で得た知識と言うのはすっと体になじむような気がします。冷たくて近寄りがたい、遠くの出来事で自分とは関係ないと思っていた科学が自分のすぐそばで息づいているという実感がわくのです。
子どもたちは非常に素直に自然を見ていました。彼らにとって科学とは「いま、目の前の謎を解く」ためのものなんだなぁと思うとともに、私よりずっと科学者であったと思ったのでした。

ちなみに子どもたちが指さした植物は、正式名称コニシキソウで白い液体は乳液と呼ばれ多くの場合有害らしいことが分かりました。
傷を早く閉じるためだとか、炎症を誘発して敵を遠ざけるためとか理由はまだ明確に分かっていないそうで、ゴムの木から出るゴムのもとと実は同質のものらしいとのことでした。
そういえばあの液体触るとベタつきます。
こういう五感をフルに使った生命の延長線上で科学をやっているというのは文献に当たったり、人工的な環境で実験を行う身にとっては貴重な体験になりつつあります。
昔の科学者はそれはもう子供のように野を駆け回っていたのかもしれません。
……と言うよりも私も最初はそこから科学の世界に入ったはずなのに、いつの間にこんなに頭が固くなってしまったのでしょうか。
余談ですがコニシキソウはアリとの共存でも知られています、蜜を出す代わりに花粉を媒介してもらうのです。種も運んでもらっています。足のない植物はこのようにして昆虫と共生して自分の生活圏を広げているわけです。