「むつ」

「むつ」


2017年1月の時点で日本の原子力発電の基数は42基とあります。
計画中・建設中の原発は11基。合計53基は、世界3位の原子力発電大国であることを表し、世界のおよそ12分の1の原発が日本にあることになります。
つい最近にも東京電力柏崎刈羽原発6、7号の再稼働案が審議中です。
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故によって、原発ゼロが話題になりましたが難しいようです。

今回は、原子力原子力でも日本における最初で最後の原子力船「むつ」をご紹介します。
原子力船とは船舶の動力に原子力を使用したものを言います。原子力を使うと燃料の補給が要らず長い間航海することができます。また燃料の重量も石油に比べれば軽くより多くの積み荷を載せることができます。また大気も汚しません。
「むつ」が計画された当時ロシア、アメリカ、西ドイツで運用されていました。

原子力船を日本でも作ろうと1963年に計画開始、1968年に着工して1969年6月12日に進水しました。
名前は公募で集められ、青森県むつ市陸奥大湊港から進水したため「むつ」となりました。
1972年9月核燃料を載せ船舶用炉試運転への準備が整います。しかし地元住民の反対で頓挫してしまいます。
政府と事業団は地元と交渉を続け、遂に1974年8月26日何とか了承を取り付け、大湊港から試験運転へ出ていきます。
9月1日午後5時頃、放射線漏れが起こります。
ストリーミングという現象で遮蔽物の隙間をぬって放射線が出てきてしまったようなのです。

漏れた放射線は人体に影響を及ぼさない程度であったらしいのですが、マスコミは「放射能漏れ」と発表します。
放射線放射能では問題の規模が変わってしまいます。放射能漏れということは「放射線を放出する物体」が出てきたことになってしまいます。船舶を動かすほどの放射性物質が外に出るとその被害は甚大です、あらゆるものを汚染してしまいます。
この表記の間違いが大きな問題を起こしました。
原子力船「むつ」は9月5日、大湊港に戻りますが被曝を恐れた市民らの反対で入ることができませんでした。「むつ」はどうすることもできず海上に取り残されてしまいます。
政府の交渉でようやく大湊港に寄港したのは10月15日でした。

青森県むつ市からは2年半以内の撤去の約束で寄港した「むつ」は原子炉を停止させ、修理のため長崎県佐世保へ受け入れ申請をします。
しかし社会問題になってしまった「むつ」は、佐世保でも物議を醸したようです。
1978年、核燃料ぬきの「むつ」の佐世保入港が長崎県議会で決まり、そこで修理を受けました。
1982年、再び青森県むつ市大湊港へと帰って来ます。
1988年、むつ市の関根浜港に移動し細々と実験を続けます。
1991年の2月から12月には地球2周を超える82000kmを原子力で航行し、名実ともに原子力船となりました。
1984年1月17日 自民党科学技術部会による廃船決定していましたので1992年には原子炉停止、1993年に原子炉は解体されました。船自体は海洋調査船「みらい」として現在も活躍しています。

日本初の原子力船「むつ」は、実際に起こったこと以上に原子力船は危ないという印象を与えてしまいました。
もちろん放射線漏れが起きたのはいけないことでしたが、不正確な情報が人々のあらぬ心配を起こしたのも事実のようです。
小さな規模の放射線漏れだった原子力船「むつ」ですが、原子力の危うさを教えてくれているようです。一歩間違えば大事故につながる原子力という危機感は常に持っておくべきではないでしょうか。
「むつ」以降日本には原子力船は原子力潜水艦を含めありません。政府も開発や購入を見送っています。

恥ずかしながら私は偶然本で読むまで、日本が原子力船の実験を行っていたことなど知りませんでした。この内容は高校教科書の内容では触れられていません。

日本の原子力についての歴史は高校生の頃までにはもう少し詳しく教えてもらいたかったものです。
原発を有効活用するにせよ、脱原発を推進するにせよ知識が無くては議論もできないのでないか……、どうもそう考えてしまいます。

今日はこの辺で失礼します。

 

主要参考ウェブサイト
失敗百選 ~原子力船むつの放射線漏れ~ http://sydrose.com/case100/212/