秋山豊寛

秋山豊寛

『山川 詳説日本史図録 (第7版)』は年号と共に様々な写真や図が豊富で捲っているとなかなか楽しいものです。歴史小説を読みながら史実はどういうものであったかを確認するのに重宝します。地図帳と共に手放せないものとなっています。
その中で「高度成長期以後の生活・文化①」と言う特集の中で少し気になる記述が見られました。
それは1992年の「毛利衛スペースシャトルで日本人初宇宙飛行」というものです。他にも宇宙関連では1970年の「国産初の人工衛星おおすみ」打ち上げ」があります。
今では日本初の宇宙飛行士は?という質問に関して毛利衛さんの名前を挙げる人が多くいるそうです。実は日本人初の宇宙飛行士秋山豊寛さんはTBSのジャーナリストでもありました。今回は日本人初の宇宙飛行士のお話です。


秋山豊寛さんは1966年にTBSに入社、ラジオ番組制作やBBCワールドサービス日本語放送での番組制作や取材を担当、1984年から1988年までTBSのワシントン支局長を経て外信部デスク(海外のニュースの担当)を歴任しました。
1988年、TBSとソビエト連邦の間で宇宙総局との調印がありました。その内容はソ連宇宙ステーションである「ミール」の取材をTBSの社員が行えるという「宇宙特派員計画」に関するものでした。創立40周年を記念して1400億ドルをソビエト連邦宇宙総局に支払ったそうです。なんとも壮大な計画です。

社内選考の末、選ばれたのが秋山豊寛さんでした。1989年10月から1990年11月まで、モスクワ郊外の星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を行い、打ち上げ前日の1990年12月1日にソ連の国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受けます。
そして1990年12月2日、秋山さんが搭乗した宇宙船ソユーズTM-11がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から飛び立ちました。

この模様はTBS特番の「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」で放送され宇宙からの帰還までが連続的に報道されました。
生中継での呼びかけへの第一声は「これ、本番ですか?」だったそうです。

実は毛利衛さんは秋山さんよりも早くNASAスペースシャトルで1989年には宇宙へ行くはずでした。ところが1986年1月28日のチャレンジャー号爆発事件によって計画は延期を余儀なくされました。結果、毛利さんは1992年5月7日に宇宙へと行きました。


全く関係ないですがポンキッキーズガチャピンが1998年8月13日のソ連ソユーズに乗ってミールに5日間滞在したそうです。ただこちらは通信が上手くいかず映像が遅れなかったようですが。中身の人は同じだったのでしょうか?非常に気になりますね……。
ヒマラヤに登ったり宇宙に行ったりと世界でも有数のキャラクターなのではないでしょうか。


1992年の「毛利衛スペースシャトルで日本人初宇宙飛行」。この記述自体は何も間違っていないのですが、やはりここの年表には1990年「秋山豊寛ソユーズTM-11で日本人初の宇宙飛行」も入れて欲しいところです。
そもそもソ連は宇宙開発事業においてはアメリカと同等かそれ以上の技術力を誇っていました。人工衛星の打ち上げもソ連スプートニク1号が1957年10月に成功、アメリカは1958年1月に打ち上げて成功しています。

冷戦のさなかにはアメリカとソ連の間で宇宙を巡る熱い技術競争が行われていたわけです。
現在ソ連は崩壊してしまいましたが、その技術力と科学史上の業績は決して見過ごしてはならないと思います。
秋山さんは帰還後1995年にTBSを退社、農業を行っていたようですが再びマスメディアの世界で活躍されているようです。


それでは今日はこの辺で失礼します。