征夷大将軍

征夷大将軍

 

征夷大将軍と言えば?と聞かれたら誰をとっさに思い浮かべるでしょうか?

源頼朝足利尊氏徳川家康といったあたりが有名でしょうか。

幕府の長になった人はもれなく征夷大将軍になっているというわけですね。

 

さてそれでは日本史史上最初の征夷大将軍と言えば誰なのでしょうか?

調べてみると征夷大将軍の興味深い歴史が分かってきました。

 

 

日本初の征夷大将軍が任命されたのは源頼朝征夷大将軍に任命された1192年からさかのぼることおよそ400年、794年に大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が初の征夷大将軍に任命されました

大伴弟麻呂は幕府を開いていません、もともと征夷大将軍蝦夷地(今の北海道)を平定するという役職の長という意味だったのです。

この夷いう文字は中国の四夷(しい)という考え方によるとされています。

中国を中心に考えて、四方の異民族つまり中国に従わない異民族をそれぞれ東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼びました。これらの言葉は蔑称つまり馬鹿にした言い方になります。

今でも野蛮という言葉などにそのイメージが残っています。文化の開けていない劣った民族というニュアンスがあるのです。

 

話を戻しますと、朝廷を中心に考えるとより東にある蝦夷地に住む民族は東夷にあたります。そこで東夷を征伐する将軍として征夷大将軍になったのです。

しかし実際には征夷大将軍という役職以前にも鎮東将軍や征東大使など同じ役目を担う官職が出ていましたが名称は安定せず、征夷大将軍大伴弟麻呂とその次の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)だけで、次の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が征夷将軍になり征夷大将軍という役職はなくなってしまいます。

 

時を経て征夷大将軍が復活したのは源義仲であったと言います。

ここで少し鎌倉幕府制定までの歴史みておきましょう。

1180年平清盛後白河法皇を幽閉し絶大な権力をふるっていました、しかしそれまでに役職や財産を奪われた貴族や大寺社、地方の武士の不満は高まっていました。

平氏勢力として大きな活躍を見せていたのが源頼朝義経の軍勢と源義仲の軍勢でした。

1183年義仲の軍は越中平維盛(たいらのこれもり)率いる軍勢を撃破し〔俱利伽羅(くりから)峠の戦い〕勢いのまま京都へと攻め上り遂に京都の平氏勢力を一掃してします。京都は大喜び。

ところが義仲は継嗣問題に介入しようとしたり、軍は統率が取れず京都で盗みや暴力など問題が絶えず後白河法皇源頼朝の方に期待するようになりました。

 

源義仲平氏討伐のために中国地方へ進軍している間に、法皇から頼朝に義仲を討つように命じました。それを受け源頼朝源義経源範頼の兵を京都へ派遣することを決め移動が始まります。

朝廷が自分を討つために頼朝の軍勢を派遣したと知った義仲は急いで京都へ戻り、法皇に対して意見します、法皇のために平氏と必死に戦っていたのにあんまりだというわけです。

この時まだ範頼・義経の軍勢は京都におらず法皇と義仲の気まずい交渉が始まります。

しかし交渉の解決策もないままじりじりと義仲を討つ軍勢が近づいてきます、義仲はこうなってはと、後白河法皇を幽閉し前関白の松殿基房と組んで京都の政治を掌握してしまいます。

1184年1月、ついに範頼・義経の軍勢が美濃(今の岐阜県南部)まで近づいてきました、

義仲は法皇に自らを征夷大将軍に任命させ戦いに挑むことになりました。

頼朝の本拠地鎌倉は京都よりも東にあります、つまり迫って来る軍勢は東夷だったわけです。

結局法皇の幽閉などで人望を失っていた義仲の軍勢は小さく大敗。義仲も討ち死にしました。

 

その後源頼朝平氏征伐を命じられ、壇ノ浦でこれを討ちます。

これでめでたしかと思いきや頼朝の許可を得ず、義経法皇から官位を受けてしまいます。

ここから頼朝と義経の不仲が始まります。

義経は地盤の固い東北に入り奥州藤原氏のもとへ逃げ込みます、頼朝はこの後義経を自殺に追い込み、義経をかばうような行為をみせた奥州藤原氏も滅亡させてしまいました。

1190年には頼朝は征夷大将軍を希望しますが、法皇はこれを拒否し結局権大納言(ごんのだいなごん)、右近衛(うこのえ)大将になり、1192年の後白河法皇の死後に頼朝は征夷大将軍になりました

 

ところでどうして頼朝は、義仲がつけていた征夷大将軍の官位を欲したのでしょう?

縁起が悪いとか、印象が悪いとは思わなかったのでしょうか。

実は現在義仲が任じられたのは征東大将軍であり、征夷大将軍ではなかったのではないかという説も浮上しています。ひょっとしたら教科書の表記が変わることもあるかもしれませんね。

 

確かにそれなら納得はできなくないですが……、真偽はいかにといったところでしょうか。

 

こういう不可解な部分は調べてみたり、想像を膨らませてみたりすると面白いものです。

たまには歴史に思いをはせてみるのも良いものですね。

 

今日はこの辺で失礼します。