『小説十八史略(一)』1章 感想 「妲己(だっき)と言う恐怖」

『小説十八史略(一)』1章 感想

 

※ネタバレを含みます。ご注意ください。

 

傾国という言葉があるそうで、手元の辞書によれば「〔国の存在を危うくする意〕(国政の妨げになる)美人」とのこと。

第1章にも様々な見どころがあるのですが、妲己(だっき)と言う女性は圧倒的なインパクトを私に残していきました。戦争の絶えない時代、中国のみならず世界各地で女性を献上する例はあったようですが……。まさにそういう時代の生んだ狂気なのでしょうか。

簡単に内容をさらっておきましょう。

 

冒頭に堯の時代の神話から幕を開けたこの『小説十八史略』は、続いて殷の暴君紂王が支配する時代に移ります。

殷の諸侯として勢力を誇る周は、名君文公の時代。文公は、紂王は打つべき時節にないと判断しますが、その息子である発と旦の兄弟は何とか打開策はないかと頭をひねります。

そして弟の旦があることを思いつきます。

それは紂王のためだけの美女をつくり、殷の内側から国を崩すという奇想天外なものでした。そのために旦は有蘇氏の美女が娘を生んだなら養子としてもらうと言う約束までしていました。

実際に娘が生まれると内密でもらい受け、紂王の好むように育てあげます。

紂王のためだけの美女です。

 

有蘇氏が紂王に対し過失をした際、遂に妲己が殷へと入ることになりました。これで勘弁してくださいと美人を差し出すことは当時ままあったそうです。

紂王はこの妲己をいたく気に入ります。一挙手一投足、何もかもが紂王の好みですから当然です。しぐさどころか以心伝心、相性もぴったりです。なくてはならない存在になりました。

「(わしが心の底のほうで考えつき、それをまだ表面にとり出せないでいるとき、妲己  はそばから汲み取ってくれるのだ)

と紂王は思った。

こうなれば、妲己は紂王にとっては、いのちであった。」

 

さてこの妲己ですが、非常に欲深い。快楽はとことんまで追求しなくては納得のできないたちでした。なので紂王をそそのかしてあらゆることをやります。

淫らな歌曲を作らせたり、天下の富を集めたり夜を徹してのパーティーをしたり、戦争を起こさせたり、人事に口を出したりと枚挙にいとまがありません。

作中、妲己は「炮烙の刑」(銅の柱を炭火であぶったものの上を歩かせ、落ちずに端まで行ければ罪を許すというもの。ただし柱には油が塗り込んであり滑りやすい。もし落ちれば猛激しい火炎に落ちて焼け死んでしまう。)を見るのを好んだとあります。

しかし何よりも恐ろしいのは紂王が妲己の言いなりになっていることにまるで気づいていないということ。

「紂王は妲己の言いなりであった。それなのに、紂は自分ではそう思っていない。

妲己はわしの考えている通りのことを考えておる。……

他人に命令されたことのない紂は、妲己の言ったことを、しまいには自分の命令だと思い込んでしまったのである。」

 

妲己にそそのかされて紂王は自らの叔父を刑死させ、もう一人の叔父も投獄してしまいます。そこに周が挙兵し大軍が押し寄せます。

人望をとっくの昔に失った紂王の殷軍は敗走。紂王は都に戻り火を放ち死にます。

 

……妲己は、生きていました。

旦(※この頃は父親の文公が死んだため名は周公ですが、混乱しますのでそのままにさせていただきます)は一種の憐憫を感じます。自分がこういう女性に仕立てあげたのだという覚えがあります。妲己は己の役目が殷を亡ぼすためだとも何も教えられてはいなかったのです。ただ紂王のために教育され、快楽を追求するように育てられたわけですね。

この無垢な女性を助けてやりたいと旦は考えます。

 

ところが……、

紂王夫人として兵に連れられ、床に跪いていた妲己は、旦を見上げ

「これで、いいのですね?あたし、りっぱに勤めたでしょう?」

という言葉が出ます。

 

妲己は知っていたらしいんですね。自身が殷を亡ぼすために紂王の夫人になったと。

その上で紂王を良いように誑かし、残虐な行為に及び、欲を満たしていた。

 

憐れむはずの存在がこの一言で全く得体の知れない恐怖の対象に変わってしまいました。

読後、背筋にさっと寒いものが通りました。

妲己はまさに傾国の名にふさわしい存在でした。

 

これってどこまでが陳舜臣さんの想像で補われているんでしょうか……?

こうなってくると『十八史略』そのもの気になってしまいますよね。

今回は触れられませんでしたが、1章には他にもこちらも傾国で有名な褒姒や、斉の桓公誕生をめぐるエピソード(管鮑の交わりは特に良い話でした。)が見どころでしょうか。

 

第1章から見どころが大変多く愉しみな本です。

次回は第2章をご紹介したいと思います。