現代だから読みたい『福翁自伝』 人はなぜ勉強するのか?に対する一つの理想。

現代だから読みたい『福翁自伝』 人はなぜ勉強するのか?

 

人はなぜ勉強するのでしょう?

 

 日本紙幣の人物が変わったのが2004年だからもう14年も経過したことになります。

千円札は夏目漱石から野口英雄へ、五千円札は新渡戸稲造から樋口一葉へ、1万円札と言えば福沢諭吉がそのまま、どかりと座り込んだままでした。

今日はこの福沢諭吉が老年に自身の半生を記した『福翁自伝』から、人はなぜ勉強をするのか?という質問に対し、その理想的な回答のひとつを紹介させていただきます。

しかし、ひょっとしたら新元号が来るとこの絵柄も変更になるかもしれませんね……。

 

福沢諭吉って誰?

福沢諭吉(1834-1901)は幕末から明治にかけて活躍した洋学者、啓蒙家です。

緒方洪庵の私塾である適々斎塾でオランダ語を習得、英語を独学し生涯で3回渡米しています。明治維新にあたって自身の蘭学塾を芝新銭座(しばしんせんざ)に移しますが、この時に塾名を慶應義塾とします。現在の慶應義塾大学です。

著作は多く『福翁自伝』の他にも、「人は人の上に人を作らず」で有名な『学問のすすめ』、自身の経験を踏まえ海外の事情を述べた『西洋事情』、日本を文明国にするため海外の文明を解説する『文明論之概略』などがあります。

啓蒙家と言われるように日本に自由主義や資本主義などの西洋文明を積極的に紹介・奨励しました。

 

福翁自伝』ってどういう作品

比較的わかりやすい文章でところどころにユーモアが混じる文体が特徴です。

1889年に刊行された自伝で少年時代、長崎修業時代、適々斎塾時代、3回の洋行、維新時代などが詳しく語られます。

福沢諭吉という人物を知るにはもちろん、当時の時代の風景や雰囲気などを存分に楽しめる作品になっています。

勝海舟が船酔いで参っているシーンとか、庭でアンモニウムを生成してあまりの臭いに周りから非難を受けた話、さらにそれならと小舟を借りて洋上で実験を続行したくだりなど普通に読み物としても面白い作品です。

 

人はなぜ勉強するのか?

今回ご紹介するのはこの作品の中盤あたりに登場する「蘭学修業」「緒方の塾風」という章を取り上げたいと思います。ここがちょうど適々斎塾時代にあたるわけです。

面白いエピソードいくつか挙げてみたいと思います。

 

〇築城所を移す

奥平壱岐という中津藩家老のもとに挨拶に行ったところから話が始まります。福沢諭吉藩士ですからご機嫌をうかがわねばいけません。

その奥平壱岐は福沢の前に一冊のオランダ語で書かれた本を見せます。

彼が言うには「この本は乃公(おれ)が長崎から持て来た和蘭(オランダ)新版の築城書である」、「この原書は安く買うた。二十三両で買えたから」と言い放ちます。

ちなみに作中に福沢家の借金四十両を工面するために家中の書物や家財を売り払ってやっとのことで集めたとあるので大変豪勢な買い物であったことがわかります。

何としても見たいと思った福沢は「成程是れは結構な原書で御在ます。迚も之を読で仕舞うと云うことは急なことではできません。四,五日拝借は叶いますまいか」と嘆願し貸してもらいます。しかし彼には腹案がありました。

大胆にもこの200ページはあろうかという原書をそっくりそのまま写してしまおうというのです。昼夜問わず全力で写す。しかも家老の本を勝手に移したというのがばれるとよくないからこっそりと行います。実際には20日から30日かかっていたようなので、怒られないか?返せと言ってこないかと心配をしていたようです。

何事もなかったかのように奥平壱岐にお礼を言って返し「原書の主人に毛頭疑うような顔色もなく、マンマとその宝物の正味を偸み取て私の物にしたのは、悪漢が宝蔵に忍び入たようだ」と述懐しています。

 

〇枕がない

福沢は風邪をこじらせ熱が出ます。病気の際は座布団をしばって簡易的に枕にしていたそうですが、回復し久々に普通の枕で寝たいと思ったが、どこを探してもないそうなんですね。

「不図(ふと)思付いた。是まで倉屋敷に一年ばかり居たが遂ぞ枕をしたことがない、と云うのは時は何時でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝ようとも思わず頻りに書を読んで居る。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突臥(つっぷ)して眠るか、或は床の間の床側(とこふち)を枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどゝ云うことは只の一度もしたことがない。」

適々斎塾で勉強している人たちはたいていそんな感じだったと言っています。

 

〇自分は蘭語をやって何になるか

さて福沢はじめ緒方の塾生はどうしてこんなにも集中力をもって勉強に望めていたのでしょうか?

福沢は緒方の書生時代を振り返りこう言います。

「然しからば何の為ために苦学するかと云えば一寸と説明はない。前途自分の身体は如何なるであろうかと考えた事もなければ、名を求める気もない。名を求めぬどころか、蘭学書生と云えば世間に悪く云われるばかりで、既に已に焼けに成て居る。唯昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がって居るようなもので実に訳の分らぬ身の有様とは申しながら、一歩を進めて当時の書生の心の底を叩いて見れば、自から楽しみがある。之を一言すれば――西洋日進の書を読むことは日本国中の人に出来ない事だ、自分達の仲間に限かぎって斯様(こんな)事が出来る、貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活溌高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すと云う気位(きぐらい)で、唯六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽と云いう境遇であったと思われる。喩えばこの薬は何に利くか知らぬけれども、自分達より外にこんな苦い薬を能く呑む者はなかろうと云う見識で、病の在る所も問わずに唯苦ければもっと呑で遣ると云う位の血気であったに違いはない。」

ともかく面白くてたまらない、だからやるんだという気持ちがにじみ出ています。

身分や地位、外見そんなことは一切気にかけず、目の前にある学問に没頭していたようです。

 

「兎に角に当時緒方の書生は十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的がなかったのが却って仕合せで、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。」

そして老いた福沢が若い学生を見て

「今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行先ばかり考えて居るようでは、修業は出来なかろうと思う。」と心配をしています。

とは言え「只(ただ)迂闊(うかつ)に本ばかり見て居るのは最も宜よろしくない」と行動家らしい一言も。

好きだからやる、そして後からその知識を社会に対して存分にふるう。

昨今の勉強事情はともかく目的ありきですが、息の詰まる思いがしなくもありません。

好きな勉強をやって、最終的にそれをどう使うか改めて考える。こういう勉強というのもいいのではないでしょうか。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

参考文献

福翁自伝福沢諭吉岩波書店

https://www.amazon.co.jp/新訂-福翁自伝-岩波文庫-福沢-諭吉-ebook/dp/B00QT9X8FA/ref=dp_kinw_strp_1

 

『最終講義 生き延びるための七講』内田樹文藝春秋

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※『福翁自伝』を読み返すきっかけになった本です。おすすめです。