細胞群体(定数群体)

細胞群体(定数群体)

 

単細胞と言えば取るにも足りない奴とか原始的で文明を理解していない奴といったイメージがあるようです。実際は細胞一つで命を維持できているのはすごいことなのですが、多細胞生物の方が優れているといった考えから派生してきたのでしょう。

 

生物学的には生きている大部分が一つの細胞で過ごしているものを単細胞生物、逆に生きている大部分が多数の細胞ですごしているものを多細胞生物といいます。アメーバやゾウリムシは前者で、人間はもちろん後者です。ミジンコはどうでしょう?ミジンコは小さくても立派な多細胞生物で、目や脚があるという点では格別の違いがあると言っていいでしょう。

さて生物を単細胞生物と多細胞生物に分類していき、その枠組みから考えてみると、おや?こいつはどっちなのかと思う変わり種が浮かび上がってきます。

 

高校の生物の教科書では細胞群体と言われ、中でも細胞数が変わらないものは定数群体と呼ばれます。有名なのはボルボックスやオオヒゲマワリなどの藻類でしょう。写真を見てみるとこれが単細胞生物かと思うくらい立派な構造を有しているようです。なかでもボルボックスは栄養細胞(ご飯を食べる用)と生殖用の細胞(子孫を残す用)が分化しているのです。これだけ見れば臓器に分化しているようなものなので、多細胞生物のように思えます。ところがこれらの群体をばらけさせると、細胞一つになっても生活できてしまうのです(人間の細胞では適切なケアをしないとすぐにダメになってしまいます、ましてや淡水に放っておかれては長く持たないでしょう)。そういう意味ではこの場面だけ見れば何の疑いようもなく単細胞生物ということになります。

 

また中には無性生殖で子孫を残すものもいますが、細胞数が同じという不思議な特徴を持っています。人間について考えてみるとこの違いは大きいのです、人間は母親由来の卵細胞と父親由来の精細胞が出合い受精するところから始まります、つまりスタートはたった2個の細胞だったわけです。成長するにつれ細胞が分裂と成長を繰り返すので、成長する限り細胞数は変わっているはずでしょう。

 

しかし、定数群体の一種であるユードリナ(タマヒゲマワリ)は16個の細胞からなる藻類なのですが、子孫を増やす際には16個の細胞すべてが2つに分裂することで子孫を作るのです(これが人間なら約60兆個の細胞が一度に分裂して成人の状態で増えるというホラー映画も顔負けの状態になってしまいます、余談ですが伊藤潤二のホラー漫画『富江』に登場する富江はまさに定数群体的な増え方をしているのでもし興味があったら調べてみてください)。この細胞数が変わらないという特性から定数群体の名を冠している、というわけなのです。

 

細胞群体のうちヨコワミドロ目にはクンショウモ、アミミドロ、イカダモなどが分類されていますが、こちらは細胞分裂に先立って核が分裂すると、一度群体を解いて自由に動き回り再び整列するという動きをみせます、きっと何らかの意味があるはずなのですが詳細は分かっていないそうです。整列した後は、二つに分裂するという点ではオオヒゲマワリと違いがありません。

アミミドロでは一斉に細胞が分裂しないため細胞数が異なりますので、これは定数ではなく細胞群体ということになります。

 

さて海の細胞群体も見てみましょう。細胞群体はかなり複雑な構造を持つことができます。なかでもカツオノエボシはかなり独特な姿かたちをしています。

気泡体は海で浮かぶための空気が入っておりその姿が烏帽子に見えることから名前の由来にもなりました。色は青色で見る分には綺麗な色をしていますが、気泡体の下には栄養体(短めの触手で先端が黄色、この部分は口に相当する),生殖体(気泡体の先端の白い部分),感触体(青く長い触手、この部分に毒針がある)があり、この触手から出る毒針(専門的には刺糸〔シシ〕)で魚を仕留め食べているのですが大変強力で危険生物になっています。毒針はカツオノエボシの生存に関わらず化学的な刺激で発射されるため、例え触手部分だけ流れていても危険です。海で青くて長いものを見たらまずは警戒した方がいいかもしれません。

 

面白いことにこんなに危険なカツオノエボシの触手を住みかとする魚もいます。エボシダイの幼魚はカツオノエボシの毒に対する免疫を持ち耐えることができます、それどころか触手を食べて飢えをしのぐと言うから驚きです。

 

さて見た目の話に戻りますとクラゲの一種に見えるのですが、これもヒドロ虫という小さな生物が群れて形成されています。最初に生まれた単体のヒドロ虫が細胞分裂しそれぞれの組織を形成してカツオノエボシ全体になるのです。

とはいえヒドロ虫はすでに多細胞生物なので、単細胞生物の集団からなるユニットとは言えません。そういう意味ではハチやアリがコロニーを形成して一つの大きな生き物のようにふるまうのに似ていると言えるでしょう。

 

多細胞と言っても色々な形が存在しています。

そう考えてみると人間はどう発達して今の姿に行きついたのか不思議に思えて仕方がありません。まったく異なる生態ですが、どの生物も自然淘汰に耐えて生き残っていることを考えるとどれもが正解のようです。