江戸時代憧れの口紅は緑色だった!? 笹紅色
谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の感想を書いたのですが、その中に気になる記述がありました。それは「そして私が何よりも感心するのは、あの玉虫色に光る青い口紅である」と「古人は女の赤い唇をわざと青黒く塗りつぶして、それに螺鈿を鏤めたのだ」という表記です。
青味の入った紫色の口紅ならいざ知らず、玉虫色に光る口紅とはいったい何なのでしょうか?今回はこの玉虫色の口紅を掘り下げて行こうと思います。
『化粧の日本史』(山村博美、吉川弘文館)によれば、「笹紅の色は、濃く塗り重ねると緑色(玉虫色)の光沢が出る。「笹紅色」とは、その緑色を笹の葉にたとえたネーミングだった」とあり、紅の層の厚みによって段々と緑色の輝きが出てくるのですが、紅は高価でよほどのお金持ちしかそんな贅沢はできません。自分はこんなに紅を贅沢に使えると言うステータスでもあったようです。
続けて「流行を追いたいのは裕福な家の娘ばかりではない。庶民だっておしゃれはしたかった。そこで考えられたのが、少量の紅で笹色(緑色)にみせる節約法で、「都風俗化粧伝」には、下地に墨や行燈の油煙を塗って、その上から紅をつける」ことでわずかな玉虫色の輝きを楽しんでいたようなのです。
渓斎英泉の「美艶仙女香」には下唇が黒く塗られた女性の絵が残っています。
ただ『日本の化粧史』によれば「薄い色の墨をつけた上から紅を塗ると、紅だけを何度も塗り重ねた時に似た緑色の輝きがあらわれた」とあるので、そこまで絵のように真っ黒にするまで塗る必要はなかったのかもしれません。
文化・文政の時代に一大ムーブメントを起こした笹紅色ですが、天保の改革での奢侈禁止令の対象となり下火になっていったようです。唯一の例外は大奥だったそうで、交渉に反発し化粧を続けていたというのですから強い権力を持っていたのが分かります。
笹紅色の玉虫色は乾燥すると出てくる色味だそうで、水に濡らし唇に塗っている最中はまさに紅色。乾いてくると玉虫色が差すようです。ただ一度に紅猪口3分の1を使用しなくてはいけないらしく当時は相当な出費であったろうと考えられます(※)。
明治時代においては口紅を幾重にも塗り重ねるのは時代遅れと言われていたともあります。
お歯黒や眉を剃ると言った風習とともに時代の片隅に忘れ去られていったのかと思っていたのですが、今でもこの笹紅色作っている職人が居るそうなのです。
お値段は当時よりは圧倒的に良心的だとは思うのですが13,000から16,000円程度と高めのようです。
さて気になるのはこの緑色一体どうやって発色しているのかということです。東京工業大学の矢島仁准教授らが研究をしており、笹紅色の緑色が玉虫色(注:角度によって色が変われば玉虫色)や構造色(注:素材そのものが色を反射しているのではなく、構造に光が乱反射して色がついているように見えるのが構造色)ではなく、カルタニンという発色機構の悪化が緑色の発色と関係しているのではないかと考えられているようです。
今回はこの辺で失礼いたします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
〇主要参考文献
『化粧の日本史』山村博美、吉川弘文館
〇主要参考URL
NHK鑑賞マニュアル 美の壺 file 185 「和の化粧」
https://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file185.html
笹紅色を塗り重ねた際の唇と、薄墨を塗った上に薄く笹紅を塗った際の画像を確認できます。
さんち~工芸と探訪~ 世界にたった2人の職人がつくる伝統コスメ、伊勢半本店の「紅」
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/10210
笹紅色の作り方を見ることができます。※部分はここを参考にさせていただきました。
色の科学芸術センター 伝統的手法で抽出されたベニバナ色素膜の緑色金属光沢の科学的解明
https://www.color.t-kougei.ac.jp/research/r_yajima.html
東京工芸大学の研究成果がまとめられています。平成30年度のみ英語になっています。