「むつ」

「むつ」


2017年1月の時点で日本の原子力発電の基数は42基とあります。
計画中・建設中の原発は11基。合計53基は、世界3位の原子力発電大国であることを表し、世界のおよそ12分の1の原発が日本にあることになります。
つい最近にも東京電力柏崎刈羽原発6、7号の再稼働案が審議中です。
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故によって、原発ゼロが話題になりましたが難しいようです。

今回は、原子力原子力でも日本における最初で最後の原子力船「むつ」をご紹介します。
原子力船とは船舶の動力に原子力を使用したものを言います。原子力を使うと燃料の補給が要らず長い間航海することができます。また燃料の重量も石油に比べれば軽くより多くの積み荷を載せることができます。また大気も汚しません。
「むつ」が計画された当時ロシア、アメリカ、西ドイツで運用されていました。

原子力船を日本でも作ろうと1963年に計画開始、1968年に着工して1969年6月12日に進水しました。
名前は公募で集められ、青森県むつ市陸奥大湊港から進水したため「むつ」となりました。
1972年9月核燃料を載せ船舶用炉試運転への準備が整います。しかし地元住民の反対で頓挫してしまいます。
政府と事業団は地元と交渉を続け、遂に1974年8月26日何とか了承を取り付け、大湊港から試験運転へ出ていきます。
9月1日午後5時頃、放射線漏れが起こります。
ストリーミングという現象で遮蔽物の隙間をぬって放射線が出てきてしまったようなのです。

漏れた放射線は人体に影響を及ぼさない程度であったらしいのですが、マスコミは「放射能漏れ」と発表します。
放射線放射能では問題の規模が変わってしまいます。放射能漏れということは「放射線を放出する物体」が出てきたことになってしまいます。船舶を動かすほどの放射性物質が外に出るとその被害は甚大です、あらゆるものを汚染してしまいます。
この表記の間違いが大きな問題を起こしました。
原子力船「むつ」は9月5日、大湊港に戻りますが被曝を恐れた市民らの反対で入ることができませんでした。「むつ」はどうすることもできず海上に取り残されてしまいます。
政府の交渉でようやく大湊港に寄港したのは10月15日でした。

青森県むつ市からは2年半以内の撤去の約束で寄港した「むつ」は原子炉を停止させ、修理のため長崎県佐世保へ受け入れ申請をします。
しかし社会問題になってしまった「むつ」は、佐世保でも物議を醸したようです。
1978年、核燃料ぬきの「むつ」の佐世保入港が長崎県議会で決まり、そこで修理を受けました。
1982年、再び青森県むつ市大湊港へと帰って来ます。
1988年、むつ市の関根浜港に移動し細々と実験を続けます。
1991年の2月から12月には地球2周を超える82000kmを原子力で航行し、名実ともに原子力船となりました。
1984年1月17日 自民党科学技術部会による廃船決定していましたので1992年には原子炉停止、1993年に原子炉は解体されました。船自体は海洋調査船「みらい」として現在も活躍しています。

日本初の原子力船「むつ」は、実際に起こったこと以上に原子力船は危ないという印象を与えてしまいました。
もちろん放射線漏れが起きたのはいけないことでしたが、不正確な情報が人々のあらぬ心配を起こしたのも事実のようです。
小さな規模の放射線漏れだった原子力船「むつ」ですが、原子力の危うさを教えてくれているようです。一歩間違えば大事故につながる原子力という危機感は常に持っておくべきではないでしょうか。
「むつ」以降日本には原子力船は原子力潜水艦を含めありません。政府も開発や購入を見送っています。

恥ずかしながら私は偶然本で読むまで、日本が原子力船の実験を行っていたことなど知りませんでした。この内容は高校教科書の内容では触れられていません。

日本の原子力についての歴史は高校生の頃までにはもう少し詳しく教えてもらいたかったものです。
原発を有効活用するにせよ、脱原発を推進するにせよ知識が無くては議論もできないのでないか……、どうもそう考えてしまいます。

今日はこの辺で失礼します。

 

主要参考ウェブサイト
失敗百選 ~原子力船むつの放射線漏れ~ http://sydrose.com/case100/212/

 

シジミチョウ

シジミチョウ


野原の中でアリが集まっています。よく覗いてみるとぷっくりとした何かの幼虫がアリの興味を惹いているようです。
あの幼虫はもう死んでしまって、アリにたかられているのかと思うのですが思ったより元気そうです。それどころかわざとアリを呼び寄せているような……。
実はこれシジミチョウの幼虫です。
野原の中で小さな蝶を見かけることがあります、これがシジミチョウです。
体長は1~3㎝で、モンシロチョウよりも小さいです。
種類が多く羽の色のバリエーションも豊富で、私がよく見かけるのは灰色と黒色のシジミチョウでした。羽の形がシジミに似ているからこの名前があるようです。
興味深いのはこのシジミチョウは幼虫時代にアリと協力関係にあるということです。
今回はこのシジミチョウとアリとの蜜月な関係をご紹介します。

シジミチョウの幼虫には蜜腺という器官があります。ここから栄養たっぷりの甘い蜜を出します。これを求めてアリがやってきます。ここでアリは蜜をもらう代わりにシジミチョウのボディーガードを買って出るのです。
自然界には多くの肉食昆虫がいますが、多勢に無勢で大軍になってやってくるアリはこれらを退けてしまいす。
多くの幼虫が毒を体に蓄えますが、あえておいしくなってしまうという不思議な進化を遂げたのがシジミチョウの幼虫なのです。
興味深いのがシジミチョウの幼虫の多くが、アリに運ばれて巣の中で養育されるということです。餌もアリに食べさせてもらいます。まさに至れりつくせりですが、このときも対価として蜜を分泌し続けます。
中には大きくなるにつれてアリの幼虫を食べてしまう恐ろしい種類もいるようです。
大きくなると巣の入り口付近まで移動しそこで蛹となり、羽化し空へと飛び立つのです。
アリにおいしい蜜を与え、アリはシジミチョウの幼虫を保護する……、このようなWin-Winの関係を相利共生といいます。
一方でアリの幼虫を食べる種だと、アリの不利益の方が大きくなるのでこれは寄生と呼ばれています。片方にだけ利益が出る者は片利共生です。

ところでアリの巣にとってシジミチョウは異物です。
ましてや生きているとなると通常は巣の外へ追い出そうとします。ひょっとしたら外敵かもしれませんからそれに越したことはないのですが。
どうしてシジミチョウの幼虫はアリの巣の中に自然と暮しているのでしょうか。
実はここにも上手い生存戦略を組み立てていたのです。
そもそもアリはどのようにして味方と敵を区別しているのかと言いますと、触覚同士をくっつける動作をします。これによって体表の化学物質を識別し相手がだれかを認識しているのです。
もし仲間ではないと判明した場合は巣の中のアリが一斉に攻撃を仕掛け外へと追い出してしまいます。
シジミチョウは体の体表からアリの仲間だと錯覚させるような化学物質を出していることが分かりました。これによって仲間だと信じ込ませていたわけです。
ということは巣の外にいたときも仲間が動けない状態であったと錯覚していたというわけですね。

余談ですが、アリの社会はメスを中心に回っています、外で見かける働きアリもメスですし、巣の中で子育てしているのもメス、女王アリも当然メス……。オスは一体何をしているのか?実は生殖行為だけです。
オスが誕生するのは、新しい女王アリが誕生するタイミングです。
女王アリと、オスアリはバラバラに飛んでいき別の巣出身のパートナーを探します。
そしてパートナーが見つかると新天地を見出すために遠くへ飛んでいきます、このとき一匹の女王アリに対して数匹のオスがつきます。飛行中に性行為をして、女王アリの体に精子をため込みます。実は女王アリの性行為はこれっきり。これだけで10~20年間に何千万もの卵を産むのです。何ともすごい話ですね。
やがて巣に着くころにはオスは死んでしまいます。
この生活様式はハチでも共通しています。というのも進化学的にはハチとアリは同じ祖先から出てきているのです。

人間にとっては奇妙な生活様式でも当事者にとっては大真面目。
このようなとびきりの個性には人間が抱える問題を解決するヒントがまだまだ隠されていそうです。

 

それでは今日はこの辺で失礼します。

月――だんだん遠くなっていく・・・・・・

 

菜の花や月は東に日は西に    与謝野蕪村

安永3(1774)年、現在の神戸市灘区にある六甲山地摩耶山(まやさん)を描写した句だそうです。一面に広がる菜の花畑の黄色と、夕日の紅、そして反対側の空に出てきた暗い青に煌々と輝く月……。とても幻想的ですね。
月は昔から人々の注目、関心を集めてきました。多くの人が月を詠んでいますがとりわけこの句が私のお気に入りです。

今回はそんな月に関してのお話です。

皆さんは月が毎年少しずつ地球から離れていることをご存知でしょうか?
年におよそ3㎝の速度だそうです。
では月はいずれ見えなくなってしまうのか……?
その答えを知るために、まずはなぜ月が離れていってしまうのかを見てみたいと思います。

回転する物体については角運動量を用いて考えます。
[角運動量]=[速度]×[回転する物体の半径]×[その物体の重さ]で定義されます。
同じスピードで同じ質量のものを回したとき、その長さが長いほど使用するエネルギーは高いことになります。例えば数人が手をつないで横並びに並んだときに、片方を中心に回転してもらうと遠くにいる人ほど走る距離は長くなってしまいます。これはよりたくさんのエネルギー、つまり角運動量を必要としたわけです。
このような感じで速度、半径、重さの3拍子で角運動量が定まります。

また角運動量の保存法則が宇宙空間では適用されます。
これは外界からの力が加わらない限り、全体のエネルギーは保存されるということです。
例えば先ほど言った三拍子の内、速度が落ちた場合においても角運動量は同じなので半径か質量のどちらかあるいは両方が大きくなり帳尻を合わせるという風に考えるのです。

それでは地球と月を見ていきましょう。
地球と月の角運動量は合計して考えることができます、これは月が地球を中心に公転しているからです。角運動量を合計するということは地球の自転と月の公転で相互作用を起こし、両方でひとつの角運動量を保存するということです。
つまり両者の区別をつけないというわけですね。


ここで3拍子を再び考えてみましょう、速度・半径・重さでした。
このとき変化するのが速度です。
カギを握っているのは地球の7割を占める海洋です。
まず月は引力によって地球の海洋を持ち上げています。実はこれが潮の満ち引き現象の正体です。なんともスケールの大きな話ですね。
満潮が起きているとき、地球の反対側でも満潮が起きています。こちらは月に引っ張られた海洋には持っていかれまいとする逆向きの力が働きます。この力が最大になるのが、月の引力が最も弱くなる反対側というわけです。

月が海洋を引っ張っている間にも地球は自転しています。ここで海洋ごと一緒に動くのですが二つの力が発生します。
一つ目は地球と月との間で起こる海洋の引っ張り合いです。地球の自転は月の公転よりも早いため、月の力は地球の自転を押しとどめるかのように働きます。
二つ目は地球と海洋の間で起こる摩擦力です。地球と海の接する面はでこぼこしているので動こうとする方向とは逆向きの力が発生します。
これらが合わさって地球の公転の速度を抑えているのです。

角運動量は保存されるのでした、もういちど確認してみましょう。
[角運動量]=[速度]×[回転する物体の半径]×[その物体の重さ]
このとき[その物体の重さ]にあたるものは地球と月の質量ですがこれは変わりようがありませんので今回は考えないでおきます。
[速度]は先ほど説明した通りです、地球の公転のスピードが落ちてしまいました。
(※このとき月の公転は同じスピードです。)
残ったのは[回転する物体の半径]です。このうち変化するのは地球か月の大きさか、地球と月の間の距離ですが、地球や月は大きくなれませんので地球と月の間の距離がのびます。
この地球—月間の距離をのばすことで地球の公転速度の不足分の帳尻を合わせたわけです。
このとき計算上およそ3㎝という数値が出てきます。

地球と月による波の引き合いはこれからも続いていくので、これからも地球の自転は遅くなり、そして月は離れていってしまうのです。
それでは月は見えなくなる日が来てしまうのか……。
実は止まる時が来ます。
それは地球の自転と月の公転が同じ速度になったとき。
この条件であれば海洋の引っ張り合いは起こりません。故に地球の自転もこれ以上は遅くならないというわけです。これで万事解決。
……いや待ってください。こうなると、ひと月の長さが50日ほどになってしまうそうです。しかも満潮干潮も一日周期ではすまない。まさに天変地異です。

でも安心してください。このようなことが起こるのは今から何十億年も先の話のようです。
その頃人類はどうしているのでしょうか……?想像もつきません。
ひょっとしたらもう地球には住んでいないかもしれませんね。

 

それでは今日はこの辺で失礼します。

ナガヒラタムシ

ナガヒラタムシ


森の中で見かける細長い甲虫の中にナガヒラタムシというものがいます。
見た目ははさみのないカミキリムシ、色の地味なタマムシという感じでしょうか。
表面は固い外骨格に覆われ、縦の溝がでこぼことしています。
体長は手元の百科事典では1~30㎜内外とあります。

朽ち木などの樹皮下での暮らしを好みます。
餌への記載はありませんでしたが似た種類のヒラタムシ科は餌として菌類や腐朽した植物質を食べるものや、肉食性でほかの虫をとらえるとされています。

今回はこのナガヒラタムシを取り上げたいと思います。
とういのもこの虫50㎞先からでも火事現場にたどり着くという驚きの能力があると言われているのです。
昆虫というのはそもそも非常に繊細なセンサーを持っていることが多いのです。
例えばゴキブリの触覚は嗅覚器官としてのセンサーを多く持っています。
小さくても生きていくには、ほんのわずかな刺激も見逃さないことが必要だったのかもしれません。
ではこのナガヒラタムシどのようなセンサーを持っていたのか……?
それは高度な赤外線センサーだったのです。

何らかの原因で火が回ると特定の波長の赤外線が放出されます。
ナガヒラタムシの胸周りから脚のつけねにかけて小さなくぼみがあり、これがセンサーの働きをしています。
火事があることが分かると現場へ急行します。
彼らの目的は餌もそうですが、パートナー探しの方が大きな理由です。
小さな虫はいくら数が多くても出会いの回数は限られてしまいます、そのため様々な虫が鳴くことによって音を立ててみたり、フェロモンを撒いてパートナーを呼び寄せてみたり、派手な見ためで遠目にもわかるようにしたりと工夫が見られます。
その中でナガヒラタムシが選んだのは待ち合わせ場所を決めるという方法でした。
火事が起こればみんなやってくる、そこでパートナーに出会うという仕組みにしたのです。
簡単に言えばお見合いパーティー会場として火事場を利用しているという感じでしょうか。

火事場に集まるというのは実は非常に理にかなっているとも考えられます。
火事によって一度多くの生き物がその場所から出ていきます。
その空いた場所を狙って彼らはやってくるのです。
樹木の多くも火事で痛んで朽ち木となりナガヒラタムシにとってはいいこと尽くしです。
敵のいない、自分に適した環境で交尾し卵を植え付けます。
そしてまた別の場所へと去っていき偶然に任せてパートナーを探し、火事があると再び嬉々として集まってくるというわけです。
火事に集まる虫の一種にタマムシがいます。こちらは火事で発生する煙の成分に反応します。使うのは嗅覚をつかさどる触覚です。
木材の成分リグニンが不完全燃焼した際の成分を察知しているようです。

この不完全燃焼というのがミソです。
何故なら完全燃焼ともなると木材も跡形もなく炭になってしまい栄養がありません、それに完全燃焼中の木に不用意に集まると自分も焼けてしまいます。
ナガヒラタムシもおよそ3µm(マイクロメートル、1㎜の1000分の1を表す単位)の赤外線の波長だけに反応することが分かっているようです。
これは私の想像ですがこの選択的な反応は不完全燃焼の木に集まるためのシステムなのではないかと考えています。火が大きくても小さくても波長が変わってしまいますから、丁度いい火の付き方をした木にだけ集まれるというわけです。

火事は恐ろしいものですが虫の中には、この自然現象を心待ちにしているものいるというのも興味深いものです。
現在もこのナガヒラタムシのセンサーの仕組みを解明して、高感度の火災探知機を開発しようという研究が行われています。
人間としては実現化してほしい火災探知機ですが……、ナガヒラタムシにとっては面白くない話かもしれませんね。

最後に余談をひとつ。
昆虫学の中ではこのナガヒラタムシ、現存する鞘翅目(しょうしもく、甲虫目と同じ意味)のうちで起源がもっとも古いそうです。つまり甲虫の中の生きた化石のような位置にいると考えられているのですね。
2億5000年前というような気の遠くなるような化石にも似た姿が確認できるようです。
もしこれがナガヒラタムシの祖先であるなら、形はほとんど維持されていたわけです。
そうなってくると果たして昔からこの赤外線センサーを持っていたのか?
それとも後から獲得したものなのか?気になるところです……。

今日はこの辺で失礼いたします。

弥助

弥助


日本の歴史の中で外国人の武士といえばだれを思い浮かべるでしょうか?
私は一番に三浦按針を思い浮かべます。
本名はウィリアム・アダムス。
1600年に日本に漂着し、家康に謁見、カトリック教であるイエズス会の誹謗を受けつつも信頼を勝ち取ります。というのも彼はイングランド人でプロテスタントだったんですね。
三浦按針の名前を与えられ、旗本の役職を得て帯刀を許されます。
そして海外の最先端の学問を教えつつ外交顧問として活躍しました。
青い目のサムライなんて紹介されるとかっこいいですね。

しかし今回は按針ではなく外国人の武士の中から「弥助」を紹介したいと思います。
彼は織田信長に気に入られて武士となり刀と家を与えられています。
本能寺の変にも参加していたと言われています。
ではなぜ彼を取り上げるかといいますと以下の記述に興味をひかれたからなのです。
信長公記』において弥助について「切支丹国より、黒坊主参り候」、「牛のように黒き身体」という記述があります。
そう、彼は黒人だったのです。
1581年の時点で日本に黒人がいて、さらに武士として暮らしていた……。これは大変な驚きでした。初めて見たときに思わず理解できず首をかしげてしまったほどです。
そもそも彼はどうして日本に居たのでしょうか?そこから見ていきたいと思います。
織田信長の活躍していたころには南蛮貿易が発展し、海外からの珍しい商品を載せて来ました。
鎖国はまだ行われていませんからオランダだけではなく、ポルトガルやスペイン、イングランドなど多くの国が訪れていました。
そんな16世紀に注目された商品の一つが黒人でした。当時は人買いが当たり前のように行われていたのです。弥助もその一人だったようです。
イエズス会の巡察師ヴァリニャーノが信長に謁見する時に連れてきたのが弥助でした。初めて黒人を見た信長はその肌色をにわかには信じられず水で洗わせて色が落ちないことを確認して初めて納得したとか。
興味をひかれた信長が交渉し部下にしたという流れだったようです。
記録によれば身長は六尺二分(およそ182㎝)あったそうで、今でも十分高いですし当時からすれば相当大きかったろうと推測されます。
(ちなみに江戸時代の男性の平均身長は155~156㎝だそうです。)

火縄銃の採用や楽市楽座の導入など先進的な視点を持っていたというイメージの強い信長は日本で初めて黒人を部下にした男でもあったのです。

時は流れて、1582年6月21日、明智光秀による本能寺の変が起こります。
伝承によれば明智光秀は弥助を前にして「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として逃がしたとされています。
では逃げた弥助はその後どうしたのか?
実は記録はここで途絶えてしまっているためにまったく分からないそうです。
弥助は非常に目立つ存在だったはずで後の記録がないとなると、本能寺の変で生き延びていたかどうかさえ疑わしいものです。

とあるTV番組では弥助の故郷と思われるモザンビークに、ヤスフェという名前の人が一定数居たことからこれが弥助の名前のルーツではないかという仮説や、キマウという着物のような服を着て行う祭りがあることから弥助が無事に生まれ故郷に帰って日本の文化を伝えたのではないかという非常に興味深い見解を示しています。
こういう歴史に書かれていない部分を想像してみるというのは非常に面白いものです。

 

以上が弥助の話です。
彼は決して歴史を変えたわけでもないので教科書には載っていませんが16世紀の日本が世界と繋がっていたという不思議な感覚を呼び起こされます。
奴隷としてアフリカのモザンビークから日本へやって来て、織田信長の下で武士となりその主人の劇的な死を目の当たりにした弥助。まさに数奇な人生を送った彼こそ歴史として語り継ぐに値するのではと思うのです。

今後戦国の世の中を考えるときに黒人の武士、弥助という男が活躍していたということにほんの少しでも思いをはせていただければと思います。

余談ですが、こういう本筋とは関係ない話を知っていると歴史を知るのがさらに楽しくなってくるものです。たまには融通無碍に物事を見てみるのもいいものです。

今日はこの辺で失礼いたします。

 

 

偕老同穴

偕老同穴

 

偕老同穴という言葉をご存知でしょうか?
手元の『新明解国語辞典』によると「夫婦が仲良く長生きをし、死んでからも一緒に葬られること」とあります。
何とも仲睦まじい様子が思い浮かばれるのですが、この偕老同穴の名を冠した生物が居るのです。皆さんは一体どのような生物を想像するでしょうか?言葉の意味を考えるにおしどり夫婦みたいな雌雄がいつでも一緒という感じかなとも考えてしまうのですが……。
(因みに実際のおしどりは一冬で夫婦関係は解消してしまいます。結構さばさばとしているのです。)
この偕老同穴という生き物の中でペアになるのはまったく別種の生き物なのです。
それは海綿動物とエビという異色の組み合わせ。
本日はこのカイロウドウケツについて書きたいと思います。

海底に繊維で織り込んだような白い筒状のものが波に揺られていることがあります。
これが海綿の一種のカイロウドウケツで、その芸術的な造形にヴィーナスの花籠という別名もあるくらいです。
身体の構成要素は二酸化ケイ素で、ガラスの主成分でできています。
この中を覗き込むとそこにドウケツエビの姿を確認することがあります。このエビはカイロウドウケツの作る網目の大きさよりも大きいです。つまりこのエビ、外へ出ることはできません。
どうしてこのようなことが可能になったかというと、まだ自分の身体が小さかった頃に入り込んでしまうから。その後もこのカイロウドウケツの中で暮らし成長、最終的に入り込んだ穴よりも大きくなってしまうのです。餌は網目に引っかかった有機物を食べています。

しかしそれではこのエビどのようにして子孫を残すのか?
実はこのカイロウドウケツには二匹のドウケツエビが住んでいます。
小さなドウケツエビは雌雄がはっきり分かれていません、一緒に住んだドウケツエビは大きくなるにつれて雌雄に分化するので、一つの家に雄だけまたは雌だけというふうにはならないのです。
カイロウドウケツの中で2匹のドウケツエビが生涯を閉じるまで暮らす。
まさに「偕老同穴」というわけです。
カイロウドウケツはしっかりとした構造ですので、ドウケツエビを外敵から守ってくれるそうです。
この小さな隙間に最初に入り込んだのは偶然かもしれませんが、その過程の中で同じように隙間に入るパートナーがいて、そのつがいが生んだ子どもが今もその流れを汲んでいると考えると何だかロマンティックですね。

ただ細かいことを気にすると「偕老同穴」なのは中に住んでいるドウケツエビであって、カイロウドウケツという海綿生物ではないということですね。
言葉だけ見るとカイロウドウケツがつがいになって死ぬまで一緒に暮らしているかと思ったらそうではないのです。
そうするとカイロウドウケツはドウケツエビが「偕老同穴」に暮らすための洞穴の名称なのか……、ややこしいです。

生物の特徴を模倣して人間の生活を豊かにしようというバイオミミクリーの観点からみるとこのカイロウドウケツは何とも好奇心をそそるものだそうです。
というのも先ほど書きました通りカイロウドウケツの身体の構造は二酸化ケイ素でできています。二酸化ケイ素はさまざまな結晶構造を持つのですがその加工には高温条件が必要と考えられてきました。
ところがこのカイロウドウケツは海底にあり低温条件下でも平気でガラスの繊維を作っていたわけです。
しかもこのガラスの繊維が光ファイバーによく似た性質を表すことから、低温・低価格での光ファイバーの製造への可能性が秘められていると考えられるとか……。
生物が当たり前にやっていることの多くにはまだまだ人間の考えの及ばない可能性が詰まっているようです。

そういえば何気なく書きましたが、2匹のドウケツエビは一体どのようにして自分達の性別を分担しているのかも大きな謎ですよね。
身体の大きさとかで入ってから決めるのでしょうか?
そうはいっても誤って雄同士になって気まずく一生を終えるペアもいるのでしょうか?
興味は尽きません。

子どもいう名の科学者たち

子どもという名の科学者たち。
 ※最初に申しておきますがあくまで個人的な意見です。
 
 私は大学で生化学や植物学の講義を受けていたことがあります。どういうことを学んだかと言いますと生物がどのようにして食べ物をエネルギーとして取り込んでいるか、体に必要な物質に変換しているか、植物の構造はどうなっているのか、どうして植物は上に伸びられるのかなどなど……。ともかく何故?どのようにして?を純粋に追及して行った次第です。
 己の好奇心が満たされ、自身の知識がついていく実感がありました。なるほどね、世界はこういう仕組みで成り立っていたのか。そういう風に楽しい時間を過ごしていたのです。
 ところが、ある日私の自信は幼い子どものたった一言で崩れてしまいます。
 彼が言ったのは「植物に詳しいんでしょ?あの葉っぱなんて言うの?」でした。
彼らが指さしたのは地を這うような植物でした。ちぎると断面から木工用ボンドによく似た真っ白な液体が出るからボンド草と呼んでいました。
 私は黙ってしまいます、よく考えたら光合成の仕組みや細胞の構造、どういうタイミングで発芽するか……など色んな知識があったのですが植物の名前に関しては素人も同然でした。急いでスマホの植物図鑑を開いて子どもたちと一緒にあーだ、こーだと言いながら同定し始めたのですが……。
自分の至らなさと高慢さを恥ずかしく思ったものです。
物事の本質を追いかけるあまり大事なものが抜け落ちてしまっていたわけです。
そうやって冷静に見てみると、科学的な発想と言うのはどういうものなのかを改めて考えるきっかけになりしました。

想像してみるに大昔の人々は自然現象と切っても切れない仲であったのでしょう。今のように科学技術で自然を限界はあれどもコントロールしようという発想はなかったのではないかと思います。
例えば、多神教の神話では多くの神は自然や農耕などのモチーフが使われ、一神教でも人は神に服従するものとして描かれています。そしてそのどちらに関しても人は神の上に立てませんでした。よくて対等、多くは下の存在です。
彼らは謙虚に自然を観察し、そこにキャラクター性や絶対的な力を感じとり神話へこぎつけた気がするのです。そういう点では神話は最初の科学的思考の軌跡と考えてもいいかもしれません。もちろんこの発想が現代のような科学に発展するにはかなりの年月を要したわけですが、少なくとも観察から仮説まではやっていたのです。

科学はこの世界の真理を解き明かす学問です。
この真理は例え私が死んでも、この地球が滅びても、宇宙が崩壊しても存在します。
最初は簡単な問題と答えのつながりも、だんだんと複雑化し対象とする分野も難しくなり答え自体も抽象化していきます。
人はなぜ生まれてくるのか?死ぬということは何か?時間と言う概念は実際にあるのか?物事を極限までミクロに考えるとどのような挙動をするのか?遺伝子をいじればどのような生物も誕生させることができるのか?
まったく終わりなき謎が我々を待ち構えているわけです。今でも最高峰の知識を携えた人々が最先端の技術を用いこれらの難問に挑戦し続けています。
当然その最先端が気になるわけですが、そこで十分に注意しておきたいのは「科学は目の前の謎を解くことから進化した学問」だということです。こういう視点があればこそ人は自然を愛しなおかつ科学を愛せるのだと思うのです。
繰り返しになりますが、科学は高度になればなるほど無機質です、物事は極端に抽象化され、分解され、その本質だけが現れてきます。しかしその始点はいつだって有機的で、複雑で、全体的な謎に満ちた「何だ、これは!?」の集合であったわけです。
全ての植物を単に光合成する生物の一群と思わずに、一つ一つの植物をじっくりと眺めると思いがけない発見があります。そしてそういう視点で得た知識と言うのはすっと体になじむような気がします。冷たくて近寄りがたい、遠くの出来事で自分とは関係ないと思っていた科学が自分のすぐそばで息づいているという実感がわくのです。
子どもたちは非常に素直に自然を見ていました。彼らにとって科学とは「いま、目の前の謎を解く」ためのものなんだなぁと思うとともに、私よりずっと科学者であったと思ったのでした。

ちなみに子どもたちが指さした植物は、正式名称コニシキソウで白い液体は乳液と呼ばれ多くの場合有害らしいことが分かりました。
傷を早く閉じるためだとか、炎症を誘発して敵を遠ざけるためとか理由はまだ明確に分かっていないそうで、ゴムの木から出るゴムのもとと実は同質のものらしいとのことでした。
そういえばあの液体触るとベタつきます。
こういう五感をフルに使った生命の延長線上で科学をやっているというのは文献に当たったり、人工的な環境で実験を行う身にとっては貴重な体験になりつつあります。
昔の科学者はそれはもう子供のように野を駆け回っていたのかもしれません。
……と言うよりも私も最初はそこから科学の世界に入ったはずなのに、いつの間にこんなに頭が固くなってしまったのでしょうか。
余談ですがコニシキソウはアリとの共存でも知られています、蜜を出す代わりに花粉を媒介してもらうのです。種も運んでもらっています。足のない植物はこのようにして昆虫と共生して自分の生活圏を広げているわけです。