秋山豊寛

秋山豊寛

『山川 詳説日本史図録 (第7版)』は年号と共に様々な写真や図が豊富で捲っているとなかなか楽しいものです。歴史小説を読みながら史実はどういうものであったかを確認するのに重宝します。地図帳と共に手放せないものとなっています。
その中で「高度成長期以後の生活・文化①」と言う特集の中で少し気になる記述が見られました。
それは1992年の「毛利衛スペースシャトルで日本人初宇宙飛行」というものです。他にも宇宙関連では1970年の「国産初の人工衛星おおすみ」打ち上げ」があります。
今では日本初の宇宙飛行士は?という質問に関して毛利衛さんの名前を挙げる人が多くいるそうです。実は日本人初の宇宙飛行士秋山豊寛さんはTBSのジャーナリストでもありました。今回は日本人初の宇宙飛行士のお話です。


秋山豊寛さんは1966年にTBSに入社、ラジオ番組制作やBBCワールドサービス日本語放送での番組制作や取材を担当、1984年から1988年までTBSのワシントン支局長を経て外信部デスク(海外のニュースの担当)を歴任しました。
1988年、TBSとソビエト連邦の間で宇宙総局との調印がありました。その内容はソ連宇宙ステーションである「ミール」の取材をTBSの社員が行えるという「宇宙特派員計画」に関するものでした。創立40周年を記念して1400億ドルをソビエト連邦宇宙総局に支払ったそうです。なんとも壮大な計画です。

社内選考の末、選ばれたのが秋山豊寛さんでした。1989年10月から1990年11月まで、モスクワ郊外の星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を行い、打ち上げ前日の1990年12月1日にソ連の国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受けます。
そして1990年12月2日、秋山さんが搭乗した宇宙船ソユーズTM-11がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から飛び立ちました。

この模様はTBS特番の「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」で放送され宇宙からの帰還までが連続的に報道されました。
生中継での呼びかけへの第一声は「これ、本番ですか?」だったそうです。

実は毛利衛さんは秋山さんよりも早くNASAスペースシャトルで1989年には宇宙へ行くはずでした。ところが1986年1月28日のチャレンジャー号爆発事件によって計画は延期を余儀なくされました。結果、毛利さんは1992年5月7日に宇宙へと行きました。


全く関係ないですがポンキッキーズガチャピンが1998年8月13日のソ連ソユーズに乗ってミールに5日間滞在したそうです。ただこちらは通信が上手くいかず映像が遅れなかったようですが。中身の人は同じだったのでしょうか?非常に気になりますね……。
ヒマラヤに登ったり宇宙に行ったりと世界でも有数のキャラクターなのではないでしょうか。


1992年の「毛利衛スペースシャトルで日本人初宇宙飛行」。この記述自体は何も間違っていないのですが、やはりここの年表には1990年「秋山豊寛ソユーズTM-11で日本人初の宇宙飛行」も入れて欲しいところです。
そもそもソ連は宇宙開発事業においてはアメリカと同等かそれ以上の技術力を誇っていました。人工衛星の打ち上げもソ連スプートニク1号が1957年10月に成功、アメリカは1958年1月に打ち上げて成功しています。

冷戦のさなかにはアメリカとソ連の間で宇宙を巡る熱い技術競争が行われていたわけです。
現在ソ連は崩壊してしまいましたが、その技術力と科学史上の業績は決して見過ごしてはならないと思います。
秋山さんは帰還後1995年にTBSを退社、農業を行っていたようですが再びマスメディアの世界で活躍されているようです。


それでは今日はこの辺で失礼します。

トゲナシトゲトゲ

トゲナシトゲトゲ

そんな名前の虫がいる。一見するとトゲがあるんだかないんだか判別がつきません。
そもそも見た目から名前が付けられた虫は多いのです。兜をかぶって見えるからカブトムシですしゴキブリも元々は御器かぶり(お皿にかぶりつく)と言う言葉が由来だそうです。
また一方で行動上の特徴から名付けられた虫もいます、例えばテントウムシなどが有名ですね。漢字で書くと天道虫となります。テントウムシを捕まえて手に這わすといつも上向きに歩いて行きます。そして指先までたどり着くと飛んで行ってしまうのです。このような動作が太陽に向かっていると思われたそうです。ついでながらテントウムシは英語でlady bugやlady birdと言われ聖書に出てくるマリアの虫とされているようです。天に向かう虫というイメージは世界共通のようです。

さて表題のトゲナシトゲトゲですがこれは見た目からつけられた名前です。
一体どうしてこんな名前になってしまったのかその過程を見ていきましょう。
そもそも最初に発見されたのはトゲのあるハムシの仲間でした。
ハムシは甲虫の一種で葉っぱを食べて暮らします。大きさや形態には幅があり多様な種類が確認されています。
ハムシは野菜の害虫としての知名度の方が高いかもしれませんね。
よく見かけるハムシは、色は違えど丸みを帯びていて光沢があるイメージですからトゲ付きのハムシは体も細長く一見全く別種の虫に見えてしまうほどです。
これが人呼んでトゲトゲ(トゲハムシとも)です。

その後、トゲがないトゲトゲの仲間が見つかります。それならもうハムシでいいのではないかとも思うのですがそういうわけにもいかないのです。というのも色や外見を見るに明らかにトゲトゲがトゲをなくしたというものだったからです。
以上のいきさつからトゲのないトゲトゲ、トゲナシトゲトゲの名前で呼ばれるようになります。
つまりトゲナシトゲトゲにはトゲはありません。
またネット上ではトゲアリトゲナシトゲトゲというような目を疑う名前が出てきました。
ここまで来るとまるで早口言葉です。
詳細を知るためにネットに上がっていた画像から池田清彦さんの『不思議な生き物——生命38億年の歴史と謎——』という本に行き当たりました。38億年の歴史に見られる生物の進化の工夫がこれでもかと見られて面白い内容でした。
その中の〈「トゲトゲ」はややこしい〉という話にトゲアリトゲナシトゲトゲが登場しています。口絵にはトゲアリトゲナシトゲトゲとしてベニモントゲホソヒラタハムシの写真が掲載されています。
とはいえ話の中ではトゲナシトゲトゲのトゲがあるものが見つかってしまった、これはトゲアリトゲナシトゲトゲということになると言っているだけなので皆がそう呼んでいるわけではなさそうでした。

さらに読んでみるとトゲトゲとトゲナシトゲトゲはどちらが最初の段階なのかが分からないそうで、見つかった順番が違ったらツルツルとトゲアリツルツルになっていたかもしれないと言う話が載っています。

それにしても何とも自由気ままな名前の付け方ですが。こんなことができるのも和名つまり地方名だからだそうです。
「日本の昆虫学会では、なるべく標準和名をつけようという意見もあるのだが、地方名には国際命名規約上の拘束性がないため、どんな名前をつけてもいいことになっている。」とあります。つまり愛好家の中での通り名も和名に入ってしまっているわけです。知名度の高いものもあれば小規模で用いられるものあるそうでややこしいですね。
さてそんなトゲナシトゲトゲですが、最近はホソヒラタハムシという名前も使用されているようです。
池田さんは無粋な名前としています。確かにトゲナシトゲトゲという名前だと「何それ」と興味をかきたてられますが、ホソヒラタハムシでは素通りしてしまいそうです。せっかくこんなに面白い名前なのですからぜひこのままにしておいてほしいものです。


一つに虫の名前をとってみても文化や歴史があるようです。
身の回りにあふれる生き物にこのような物語があると思うとなかなか面白いものです。
普段なら何気なく見過ごしてしまうような名前にもまだまだ秘密が隠されていそうですね。

今日はこの辺で失礼します。

参考文献
『不思議な生き物——生命38億年の歴史と謎——』、池田清彦角川学芸出版

「むつ」

「むつ」


2017年1月の時点で日本の原子力発電の基数は42基とあります。
計画中・建設中の原発は11基。合計53基は、世界3位の原子力発電大国であることを表し、世界のおよそ12分の1の原発が日本にあることになります。
つい最近にも東京電力柏崎刈羽原発6、7号の再稼働案が審議中です。
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故によって、原発ゼロが話題になりましたが難しいようです。

今回は、原子力原子力でも日本における最初で最後の原子力船「むつ」をご紹介します。
原子力船とは船舶の動力に原子力を使用したものを言います。原子力を使うと燃料の補給が要らず長い間航海することができます。また燃料の重量も石油に比べれば軽くより多くの積み荷を載せることができます。また大気も汚しません。
「むつ」が計画された当時ロシア、アメリカ、西ドイツで運用されていました。

原子力船を日本でも作ろうと1963年に計画開始、1968年に着工して1969年6月12日に進水しました。
名前は公募で集められ、青森県むつ市陸奥大湊港から進水したため「むつ」となりました。
1972年9月核燃料を載せ船舶用炉試運転への準備が整います。しかし地元住民の反対で頓挫してしまいます。
政府と事業団は地元と交渉を続け、遂に1974年8月26日何とか了承を取り付け、大湊港から試験運転へ出ていきます。
9月1日午後5時頃、放射線漏れが起こります。
ストリーミングという現象で遮蔽物の隙間をぬって放射線が出てきてしまったようなのです。

漏れた放射線は人体に影響を及ぼさない程度であったらしいのですが、マスコミは「放射能漏れ」と発表します。
放射線放射能では問題の規模が変わってしまいます。放射能漏れということは「放射線を放出する物体」が出てきたことになってしまいます。船舶を動かすほどの放射性物質が外に出るとその被害は甚大です、あらゆるものを汚染してしまいます。
この表記の間違いが大きな問題を起こしました。
原子力船「むつ」は9月5日、大湊港に戻りますが被曝を恐れた市民らの反対で入ることができませんでした。「むつ」はどうすることもできず海上に取り残されてしまいます。
政府の交渉でようやく大湊港に寄港したのは10月15日でした。

青森県むつ市からは2年半以内の撤去の約束で寄港した「むつ」は原子炉を停止させ、修理のため長崎県佐世保へ受け入れ申請をします。
しかし社会問題になってしまった「むつ」は、佐世保でも物議を醸したようです。
1978年、核燃料ぬきの「むつ」の佐世保入港が長崎県議会で決まり、そこで修理を受けました。
1982年、再び青森県むつ市大湊港へと帰って来ます。
1988年、むつ市の関根浜港に移動し細々と実験を続けます。
1991年の2月から12月には地球2周を超える82000kmを原子力で航行し、名実ともに原子力船となりました。
1984年1月17日 自民党科学技術部会による廃船決定していましたので1992年には原子炉停止、1993年に原子炉は解体されました。船自体は海洋調査船「みらい」として現在も活躍しています。

日本初の原子力船「むつ」は、実際に起こったこと以上に原子力船は危ないという印象を与えてしまいました。
もちろん放射線漏れが起きたのはいけないことでしたが、不正確な情報が人々のあらぬ心配を起こしたのも事実のようです。
小さな規模の放射線漏れだった原子力船「むつ」ですが、原子力の危うさを教えてくれているようです。一歩間違えば大事故につながる原子力という危機感は常に持っておくべきではないでしょうか。
「むつ」以降日本には原子力船は原子力潜水艦を含めありません。政府も開発や購入を見送っています。

恥ずかしながら私は偶然本で読むまで、日本が原子力船の実験を行っていたことなど知りませんでした。この内容は高校教科書の内容では触れられていません。

日本の原子力についての歴史は高校生の頃までにはもう少し詳しく教えてもらいたかったものです。
原発を有効活用するにせよ、脱原発を推進するにせよ知識が無くては議論もできないのでないか……、どうもそう考えてしまいます。

今日はこの辺で失礼します。

 

主要参考ウェブサイト
失敗百選 ~原子力船むつの放射線漏れ~ http://sydrose.com/case100/212/

 

シジミチョウ

シジミチョウ


野原の中でアリが集まっています。よく覗いてみるとぷっくりとした何かの幼虫がアリの興味を惹いているようです。
あの幼虫はもう死んでしまって、アリにたかられているのかと思うのですが思ったより元気そうです。それどころかわざとアリを呼び寄せているような……。
実はこれシジミチョウの幼虫です。
野原の中で小さな蝶を見かけることがあります、これがシジミチョウです。
体長は1~3㎝で、モンシロチョウよりも小さいです。
種類が多く羽の色のバリエーションも豊富で、私がよく見かけるのは灰色と黒色のシジミチョウでした。羽の形がシジミに似ているからこの名前があるようです。
興味深いのはこのシジミチョウは幼虫時代にアリと協力関係にあるということです。
今回はこのシジミチョウとアリとの蜜月な関係をご紹介します。

シジミチョウの幼虫には蜜腺という器官があります。ここから栄養たっぷりの甘い蜜を出します。これを求めてアリがやってきます。ここでアリは蜜をもらう代わりにシジミチョウのボディーガードを買って出るのです。
自然界には多くの肉食昆虫がいますが、多勢に無勢で大軍になってやってくるアリはこれらを退けてしまいす。
多くの幼虫が毒を体に蓄えますが、あえておいしくなってしまうという不思議な進化を遂げたのがシジミチョウの幼虫なのです。
興味深いのがシジミチョウの幼虫の多くが、アリに運ばれて巣の中で養育されるということです。餌もアリに食べさせてもらいます。まさに至れりつくせりですが、このときも対価として蜜を分泌し続けます。
中には大きくなるにつれてアリの幼虫を食べてしまう恐ろしい種類もいるようです。
大きくなると巣の入り口付近まで移動しそこで蛹となり、羽化し空へと飛び立つのです。
アリにおいしい蜜を与え、アリはシジミチョウの幼虫を保護する……、このようなWin-Winの関係を相利共生といいます。
一方でアリの幼虫を食べる種だと、アリの不利益の方が大きくなるのでこれは寄生と呼ばれています。片方にだけ利益が出る者は片利共生です。

ところでアリの巣にとってシジミチョウは異物です。
ましてや生きているとなると通常は巣の外へ追い出そうとします。ひょっとしたら外敵かもしれませんからそれに越したことはないのですが。
どうしてシジミチョウの幼虫はアリの巣の中に自然と暮しているのでしょうか。
実はここにも上手い生存戦略を組み立てていたのです。
そもそもアリはどのようにして味方と敵を区別しているのかと言いますと、触覚同士をくっつける動作をします。これによって体表の化学物質を識別し相手がだれかを認識しているのです。
もし仲間ではないと判明した場合は巣の中のアリが一斉に攻撃を仕掛け外へと追い出してしまいます。
シジミチョウは体の体表からアリの仲間だと錯覚させるような化学物質を出していることが分かりました。これによって仲間だと信じ込ませていたわけです。
ということは巣の外にいたときも仲間が動けない状態であったと錯覚していたというわけですね。

余談ですが、アリの社会はメスを中心に回っています、外で見かける働きアリもメスですし、巣の中で子育てしているのもメス、女王アリも当然メス……。オスは一体何をしているのか?実は生殖行為だけです。
オスが誕生するのは、新しい女王アリが誕生するタイミングです。
女王アリと、オスアリはバラバラに飛んでいき別の巣出身のパートナーを探します。
そしてパートナーが見つかると新天地を見出すために遠くへ飛んでいきます、このとき一匹の女王アリに対して数匹のオスがつきます。飛行中に性行為をして、女王アリの体に精子をため込みます。実は女王アリの性行為はこれっきり。これだけで10~20年間に何千万もの卵を産むのです。何ともすごい話ですね。
やがて巣に着くころにはオスは死んでしまいます。
この生活様式はハチでも共通しています。というのも進化学的にはハチとアリは同じ祖先から出てきているのです。

人間にとっては奇妙な生活様式でも当事者にとっては大真面目。
このようなとびきりの個性には人間が抱える問題を解決するヒントがまだまだ隠されていそうです。

 

それでは今日はこの辺で失礼します。

月――だんだん遠くなっていく・・・・・・

 

菜の花や月は東に日は西に    与謝野蕪村

安永3(1774)年、現在の神戸市灘区にある六甲山地摩耶山(まやさん)を描写した句だそうです。一面に広がる菜の花畑の黄色と、夕日の紅、そして反対側の空に出てきた暗い青に煌々と輝く月……。とても幻想的ですね。
月は昔から人々の注目、関心を集めてきました。多くの人が月を詠んでいますがとりわけこの句が私のお気に入りです。

今回はそんな月に関してのお話です。

皆さんは月が毎年少しずつ地球から離れていることをご存知でしょうか?
年におよそ3㎝の速度だそうです。
では月はいずれ見えなくなってしまうのか……?
その答えを知るために、まずはなぜ月が離れていってしまうのかを見てみたいと思います。

回転する物体については角運動量を用いて考えます。
[角運動量]=[速度]×[回転する物体の半径]×[その物体の重さ]で定義されます。
同じスピードで同じ質量のものを回したとき、その長さが長いほど使用するエネルギーは高いことになります。例えば数人が手をつないで横並びに並んだときに、片方を中心に回転してもらうと遠くにいる人ほど走る距離は長くなってしまいます。これはよりたくさんのエネルギー、つまり角運動量を必要としたわけです。
このような感じで速度、半径、重さの3拍子で角運動量が定まります。

また角運動量の保存法則が宇宙空間では適用されます。
これは外界からの力が加わらない限り、全体のエネルギーは保存されるということです。
例えば先ほど言った三拍子の内、速度が落ちた場合においても角運動量は同じなので半径か質量のどちらかあるいは両方が大きくなり帳尻を合わせるという風に考えるのです。

それでは地球と月を見ていきましょう。
地球と月の角運動量は合計して考えることができます、これは月が地球を中心に公転しているからです。角運動量を合計するということは地球の自転と月の公転で相互作用を起こし、両方でひとつの角運動量を保存するということです。
つまり両者の区別をつけないというわけですね。


ここで3拍子を再び考えてみましょう、速度・半径・重さでした。
このとき変化するのが速度です。
カギを握っているのは地球の7割を占める海洋です。
まず月は引力によって地球の海洋を持ち上げています。実はこれが潮の満ち引き現象の正体です。なんともスケールの大きな話ですね。
満潮が起きているとき、地球の反対側でも満潮が起きています。こちらは月に引っ張られた海洋には持っていかれまいとする逆向きの力が働きます。この力が最大になるのが、月の引力が最も弱くなる反対側というわけです。

月が海洋を引っ張っている間にも地球は自転しています。ここで海洋ごと一緒に動くのですが二つの力が発生します。
一つ目は地球と月との間で起こる海洋の引っ張り合いです。地球の自転は月の公転よりも早いため、月の力は地球の自転を押しとどめるかのように働きます。
二つ目は地球と海洋の間で起こる摩擦力です。地球と海の接する面はでこぼこしているので動こうとする方向とは逆向きの力が発生します。
これらが合わさって地球の公転の速度を抑えているのです。

角運動量は保存されるのでした、もういちど確認してみましょう。
[角運動量]=[速度]×[回転する物体の半径]×[その物体の重さ]
このとき[その物体の重さ]にあたるものは地球と月の質量ですがこれは変わりようがありませんので今回は考えないでおきます。
[速度]は先ほど説明した通りです、地球の公転のスピードが落ちてしまいました。
(※このとき月の公転は同じスピードです。)
残ったのは[回転する物体の半径]です。このうち変化するのは地球か月の大きさか、地球と月の間の距離ですが、地球や月は大きくなれませんので地球と月の間の距離がのびます。
この地球—月間の距離をのばすことで地球の公転速度の不足分の帳尻を合わせたわけです。
このとき計算上およそ3㎝という数値が出てきます。

地球と月による波の引き合いはこれからも続いていくので、これからも地球の自転は遅くなり、そして月は離れていってしまうのです。
それでは月は見えなくなる日が来てしまうのか……。
実は止まる時が来ます。
それは地球の自転と月の公転が同じ速度になったとき。
この条件であれば海洋の引っ張り合いは起こりません。故に地球の自転もこれ以上は遅くならないというわけです。これで万事解決。
……いや待ってください。こうなると、ひと月の長さが50日ほどになってしまうそうです。しかも満潮干潮も一日周期ではすまない。まさに天変地異です。

でも安心してください。このようなことが起こるのは今から何十億年も先の話のようです。
その頃人類はどうしているのでしょうか……?想像もつきません。
ひょっとしたらもう地球には住んでいないかもしれませんね。

 

それでは今日はこの辺で失礼します。

ナガヒラタムシ

ナガヒラタムシ


森の中で見かける細長い甲虫の中にナガヒラタムシというものがいます。
見た目ははさみのないカミキリムシ、色の地味なタマムシという感じでしょうか。
表面は固い外骨格に覆われ、縦の溝がでこぼことしています。
体長は手元の百科事典では1~30㎜内外とあります。

朽ち木などの樹皮下での暮らしを好みます。
餌への記載はありませんでしたが似た種類のヒラタムシ科は餌として菌類や腐朽した植物質を食べるものや、肉食性でほかの虫をとらえるとされています。

今回はこのナガヒラタムシを取り上げたいと思います。
とういのもこの虫50㎞先からでも火事現場にたどり着くという驚きの能力があると言われているのです。
昆虫というのはそもそも非常に繊細なセンサーを持っていることが多いのです。
例えばゴキブリの触覚は嗅覚器官としてのセンサーを多く持っています。
小さくても生きていくには、ほんのわずかな刺激も見逃さないことが必要だったのかもしれません。
ではこのナガヒラタムシどのようなセンサーを持っていたのか……?
それは高度な赤外線センサーだったのです。

何らかの原因で火が回ると特定の波長の赤外線が放出されます。
ナガヒラタムシの胸周りから脚のつけねにかけて小さなくぼみがあり、これがセンサーの働きをしています。
火事があることが分かると現場へ急行します。
彼らの目的は餌もそうですが、パートナー探しの方が大きな理由です。
小さな虫はいくら数が多くても出会いの回数は限られてしまいます、そのため様々な虫が鳴くことによって音を立ててみたり、フェロモンを撒いてパートナーを呼び寄せてみたり、派手な見ためで遠目にもわかるようにしたりと工夫が見られます。
その中でナガヒラタムシが選んだのは待ち合わせ場所を決めるという方法でした。
火事が起こればみんなやってくる、そこでパートナーに出会うという仕組みにしたのです。
簡単に言えばお見合いパーティー会場として火事場を利用しているという感じでしょうか。

火事場に集まるというのは実は非常に理にかなっているとも考えられます。
火事によって一度多くの生き物がその場所から出ていきます。
その空いた場所を狙って彼らはやってくるのです。
樹木の多くも火事で痛んで朽ち木となりナガヒラタムシにとってはいいこと尽くしです。
敵のいない、自分に適した環境で交尾し卵を植え付けます。
そしてまた別の場所へと去っていき偶然に任せてパートナーを探し、火事があると再び嬉々として集まってくるというわけです。
火事に集まる虫の一種にタマムシがいます。こちらは火事で発生する煙の成分に反応します。使うのは嗅覚をつかさどる触覚です。
木材の成分リグニンが不完全燃焼した際の成分を察知しているようです。

この不完全燃焼というのがミソです。
何故なら完全燃焼ともなると木材も跡形もなく炭になってしまい栄養がありません、それに完全燃焼中の木に不用意に集まると自分も焼けてしまいます。
ナガヒラタムシもおよそ3µm(マイクロメートル、1㎜の1000分の1を表す単位)の赤外線の波長だけに反応することが分かっているようです。
これは私の想像ですがこの選択的な反応は不完全燃焼の木に集まるためのシステムなのではないかと考えています。火が大きくても小さくても波長が変わってしまいますから、丁度いい火の付き方をした木にだけ集まれるというわけです。

火事は恐ろしいものですが虫の中には、この自然現象を心待ちにしているものいるというのも興味深いものです。
現在もこのナガヒラタムシのセンサーの仕組みを解明して、高感度の火災探知機を開発しようという研究が行われています。
人間としては実現化してほしい火災探知機ですが……、ナガヒラタムシにとっては面白くない話かもしれませんね。

最後に余談をひとつ。
昆虫学の中ではこのナガヒラタムシ、現存する鞘翅目(しょうしもく、甲虫目と同じ意味)のうちで起源がもっとも古いそうです。つまり甲虫の中の生きた化石のような位置にいると考えられているのですね。
2億5000年前というような気の遠くなるような化石にも似た姿が確認できるようです。
もしこれがナガヒラタムシの祖先であるなら、形はほとんど維持されていたわけです。
そうなってくると果たして昔からこの赤外線センサーを持っていたのか?
それとも後から獲得したものなのか?気になるところです……。

今日はこの辺で失礼いたします。

弥助

弥助


日本の歴史の中で外国人の武士といえばだれを思い浮かべるでしょうか?
私は一番に三浦按針を思い浮かべます。
本名はウィリアム・アダムス。
1600年に日本に漂着し、家康に謁見、カトリック教であるイエズス会の誹謗を受けつつも信頼を勝ち取ります。というのも彼はイングランド人でプロテスタントだったんですね。
三浦按針の名前を与えられ、旗本の役職を得て帯刀を許されます。
そして海外の最先端の学問を教えつつ外交顧問として活躍しました。
青い目のサムライなんて紹介されるとかっこいいですね。

しかし今回は按針ではなく外国人の武士の中から「弥助」を紹介したいと思います。
彼は織田信長に気に入られて武士となり刀と家を与えられています。
本能寺の変にも参加していたと言われています。
ではなぜ彼を取り上げるかといいますと以下の記述に興味をひかれたからなのです。
信長公記』において弥助について「切支丹国より、黒坊主参り候」、「牛のように黒き身体」という記述があります。
そう、彼は黒人だったのです。
1581年の時点で日本に黒人がいて、さらに武士として暮らしていた……。これは大変な驚きでした。初めて見たときに思わず理解できず首をかしげてしまったほどです。
そもそも彼はどうして日本に居たのでしょうか?そこから見ていきたいと思います。
織田信長の活躍していたころには南蛮貿易が発展し、海外からの珍しい商品を載せて来ました。
鎖国はまだ行われていませんからオランダだけではなく、ポルトガルやスペイン、イングランドなど多くの国が訪れていました。
そんな16世紀に注目された商品の一つが黒人でした。当時は人買いが当たり前のように行われていたのです。弥助もその一人だったようです。
イエズス会の巡察師ヴァリニャーノが信長に謁見する時に連れてきたのが弥助でした。初めて黒人を見た信長はその肌色をにわかには信じられず水で洗わせて色が落ちないことを確認して初めて納得したとか。
興味をひかれた信長が交渉し部下にしたという流れだったようです。
記録によれば身長は六尺二分(およそ182㎝)あったそうで、今でも十分高いですし当時からすれば相当大きかったろうと推測されます。
(ちなみに江戸時代の男性の平均身長は155~156㎝だそうです。)

火縄銃の採用や楽市楽座の導入など先進的な視点を持っていたというイメージの強い信長は日本で初めて黒人を部下にした男でもあったのです。

時は流れて、1582年6月21日、明智光秀による本能寺の変が起こります。
伝承によれば明智光秀は弥助を前にして「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として逃がしたとされています。
では逃げた弥助はその後どうしたのか?
実は記録はここで途絶えてしまっているためにまったく分からないそうです。
弥助は非常に目立つ存在だったはずで後の記録がないとなると、本能寺の変で生き延びていたかどうかさえ疑わしいものです。

とあるTV番組では弥助の故郷と思われるモザンビークに、ヤスフェという名前の人が一定数居たことからこれが弥助の名前のルーツではないかという仮説や、キマウという着物のような服を着て行う祭りがあることから弥助が無事に生まれ故郷に帰って日本の文化を伝えたのではないかという非常に興味深い見解を示しています。
こういう歴史に書かれていない部分を想像してみるというのは非常に面白いものです。

 

以上が弥助の話です。
彼は決して歴史を変えたわけでもないので教科書には載っていませんが16世紀の日本が世界と繋がっていたという不思議な感覚を呼び起こされます。
奴隷としてアフリカのモザンビークから日本へやって来て、織田信長の下で武士となりその主人の劇的な死を目の当たりにした弥助。まさに数奇な人生を送った彼こそ歴史として語り継ぐに値するのではと思うのです。

今後戦国の世の中を考えるときに黒人の武士、弥助という男が活躍していたということにほんの少しでも思いをはせていただければと思います。

余談ですが、こういう本筋とは関係ない話を知っていると歴史を知るのがさらに楽しくなってくるものです。たまには融通無碍に物事を見てみるのもいいものです。

今日はこの辺で失礼いたします。