犀角 江戸時代のユニコーンはサイだった 

昨年、マイコプラズマ肺炎を患い一週間ほど高熱と痰に苦しみ病床に臥せりました。幸い原因が分かり抗生物質が投薬されてから急速に回復しました。時代の恩恵を感じつつ、最近猛威を振るっている新型コロナウイルという未知の病原体との戦いの行方を案じています。ふと、病原菌と言う発想すらなかった江戸時代にはどんな病気が流行っていて、どういう対処をしていたのだろうと思い『江戸 病草紙』(立川昭二)を読み始めました。すると新しい江戸の一面が見えてきました。

 

立川昭二氏は『譚海』や『耳嚢』などの見聞記や小咄、川柳に言及された病気を集計した結果「眼病 28 疝気 25 疱瘡 22 食傷 21 歯痛 19 風邪 18 瘡毒 18 痔 17

癪 17 精神病 17 腫病 14 火傷 13 淋病 12 小児病 11

痢病 9 腎虚 9 中風 8 腹痛 8 労咳 7 頭痛 7」となったと言います。

 

江戸時代はともかく目の病気が多かったようで、外科医として出島に居たツンベルグはこの原因として炭の煙と便所の蒸発気を挙げています。一方、長崎養成所で治療と教育をしたポンぺはその原因を飲酒・入浴・運動不足・性的放縦・寄生虫病と多岐にわたるとし、最大の理由は日本人が目の正しい治療法を知らず重体化しやすいことを挙げています。

当時の日本の医療は中国医学が一般的で本草や漢方と呼ばれる知識が活用され、神頼みも多く行われていました。

 

漢方薬は問診によって症状から選択されるのですが、今からすると思わずびっくりするようなものが薬として扱われていたりします。例えば虫に寄生するキノコの冬虫夏草や身体には害がある鉛なども薬として採用されていました。そして今回取り上げる犀角もその一つだと思います。

 

犀角は「さいかく」と読みます。読んで字のごとく「犀の角」のことです。粉末または切片の状態で使用し、解熱・解毒作用があるとされ特に麻疹の特効薬扱いでした。クロサイからとられたのが水犀角、インドサイからとられたものが烏犀角と言われ後者の方がより薬効があるとして重宝されたようです。

インドサイは角が一本、クロサイは角が二本あります。そこでインドサイの角、すなわち烏犀角をウニコウルと呼んでいたらしいのです。ウニコウルはユニコーンで一角獣のことです、現代だと馬の頭に角が一本ある姿を想像してしまうのですが、江戸時代のユニコーンと言えばサイだったのです。

 

『江戸 病草紙』には「持参金 ウニコウルまで飲んだ顔」という川柳が載っています。麻疹に罹りウニコウルを呑んで命は助かったが顔にあばたが残ってしまった娘は持参金を持たせて婿入りに行かせるというほどの意味だそうです。

 

現在世界的にサイの角の乱獲が続き絶滅の危機に瀕しているようです。科学的根拠は一切見つからないまま、犀角は効果を信じ求める人達によって未だに高額で取引されているのです。

角には生物学的に骨が伸びたものと、角質によってできるものがあるのですが、サイの場合は後者で毛と皮膚でできているため毛角と呼ばれます。いくら毛でも皮膚としっかりとくっつき固くなっており、刀で柔らかい肌ごと強引に切り取る形になります。ある写真では生きたまま角を切り取られ頭から血をにじませている犀たちが移っており悲壮感が漂っています。

科学的な技術が発達した今の時代、もちろん技術の発達事態によって引き起こされる問題もありますが、過去の慣習にとらわれ続けているのもどうかと思います。

犀の角をとっても治らないのなら、得をしている人は角を売ってお金を儲けた人しかいないのです。病人も、大金を払った人も、犀も皆苦しむだけです。

こういう場所にこそ薬と知識が必要なのだと思わずにはいられません。江戸時代から400年たった今なお人間はまだまだ発展途上にあるように思えます。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 〇参考文献

『江戸 病草紙』立川昭二筑摩書房