やる気を出させる寄生虫? トキソプラズマ

やる気を出させる寄生虫? トキソプラズマ

 

寄生虫にはいくつかの種類の動物を経由して生活するものが居ます。

 最終的に卵を産み次世代を残すことが可能になる宿主を最終宿主、途中で成長や休眠をして機会を待つ際の宿主を中間宿主と言います。今回ご紹介するトキソプラズマ原虫もこのように中間宿主を経由するものが一般的だと言われています。

 ネコの体内で生殖と産卵した後、糞と一緒に外へ出ていきます。感染経路は経口感染で、糞を食べたりして口の中に入れたり、あるいは感染した動物を食べることによって感染します。ヒトにはペットに触った後に手を洗わなかった場合や、豚肉を調理する際に火が通っていないという理由で感染することがあるようです。

 さてこの原虫に感染すると発熱や食欲不振、下痢、咳、呼吸困難が起こり、多くの内臓器官が腫れあがって出血を伴います。慢性症状では失明、神経障害、運動障害が出ることもある恐ろしい病気です。成人は感染しても症状は出にくいのですが、注意すべきは胎児で免疫力が充分でないため後遺症が残ったり、最悪の場合死に至るがあります。また、新生児も症状が重く出ることがあります。

 中間宿主にはヒトを含めブタ、ネズミなどの哺乳類、鳥類全般と非常に幅広いのですが、最終宿主はネコ科動物に行きつきます。トキソプラズマ原虫はネコから生まれ、ネコへ戻るために冒険に出ていくのです。

 さて先ほども書きましたが、成人では感染していても症状が小さいことが多いです。ところがこの原虫は免疫系に攻撃されるとシストという殻に包まれた状態になり身を守ります。そうすることで死ぬまでこの原虫と一緒に暮らすことになってしまいます。さてこの同居人眠っているかと思えば、意外な作用を体内に及ぼしていたというのです。

 

 1990年のある日、チェコ・カレル大学の進化生物学者であったヤロスラフ・フレグル教授はトキソプラズマに感染してしまいました。彼はそれ以降恐怖心が起こりにくくなったり、不注意な行動が増えたことに気がつきます。不意にクラクションを鳴らされても反応はするが驚くようなことはなくなったのです。彼はトキソプラズマが人間の行動に何らかの作用を及ぼすのではないかと仮説を提案しますが学会に一笑にふされてしまいました。

 ところが新たな研究宝庫国がフレグル教授の仮説を後押しすることになります。1980年代には本来なら猫の尿を避けて暮らすマウスが、トキソプラズマ原虫に感染すると積極的に猫の尿を嗅ぎまわるようになるということが報告されていたのです。2009年、スウェーデンの研究グループがついにこのマウスの行動変化の仕組みを明らかにしました。

 トキソプラズマドーパミンを自分で作ることが分かりました。ドーパミンは恐怖心や不安感を鈍らせます。トキソプラズマ原虫はネコを恐れないマウスにさせることで、効率的にネコに捕らえられるように仕向けていたのです。

 人間はネコに捕まるには大きすぎますが、もしこれがライオンだったら……、マウスと同じようにライオンをしげしげと眺めているうちに食べられてしまったのかもしれません。

 さらに2013年にはカロリンスカ研究所感染症学センターのアントニオ・バラガンのチームはトキソプラズマが樹状細胞に感染した後GABAを作り、脳へと進んでいくことが判明しました。

 カレル大学ではさらにチェコ、イギリス、アメリカの男女394人に対してトキソプラズマ原虫に感染している人達の性格の変化を調べました。結果、女性は社交性が増し、容姿への関心が増え、男性関係も活発になったといいます。男性もテストステロンの分泌が増加しより男らしい行動に影響を与えていると報告がされました。

 さらに感染すると反射神経が鈍くなりリスクを恐れなくなることから、感染者は交通事故に遭いやすくなるという調査結果もあるそうです。

 他にもミシガン大学リーナ・ブランディン准教授の論文によればトキソプラズマ感染者の自殺率が非感染者の7倍になるという発表をし、デンマークでも女性では感染者の方が非感染者よりも自殺リスクが1.5倍高いという報告がなされました。

 ドーパミンは正常な心の動きに欠かせませんが、不足すれば鬱様の症状が出るし、増え過ぎれば興奮が収まらず落ち着かなくなってしまいます。近代医学はドーパミンセロトニンに焦点を当てた薬を開発し精神疾患を治そうとしてきました。そのはるか以前に、その分野に特化して行動の変化を促そうとしていた生物が存在していたというのは、まさに生命の可能性を感じさせます。

 人間は自分で状況を判断し、客観的な判断を下していると思っていますが、見えないところで色々な影響に曝されているのに気づいていないだけかもしれません。存外、江戸時代の人達が腹の虫とか疳の虫と言って色んな感情に関係する虫が体内に棲んでいると考えていたのもいい線を言っていたのかもしれません。

 

 ここまで読んで下さりありがとうございました。

 それでは今日はこの辺で失礼いたします。

 

参考文献

『増補オオカミ少女はいなかった』鈴木幸太郎

日経サイエンス20157月号より「脳を操る寄生生物 トキソプラズマ