計算できる馬!? クレバー・ハンス

計算できる馬!? クレバー・ハンス

 

1904年、ドイツはある馬の話題で持ちきりでした。

その名はハンス、この雄馬は飼い主であるフォン・オステン(元中学校の数学教師)から教育を施された結果、四則演算に加え、時計の読み方、カレンダーの読み方を理解するようになったというのです。それどころか近年では分数の計算や文字の解読、果ては絶対音感や和音の構成分解までこなすようになったのです。

この様子は多くの観衆の前で披露され、「クレバー・ハンス」と呼ばれるようになりました。彼は質問を受けると、yesの場合は縦に頷き、noの場合は横に首を振り、数を数える場合は右前脚を回数分だけ地面をたたくという方法で回答しました。そしてたまに間違えることがあったとしても、大抵は難なく答えることができたと言うのです。

今回は心理学史に残る疑惑の名馬クレバー・ハンスのお話です。

 

世間をさらに賑わしたのは探検家兼動物学者のシリングスが、飼い主のフォン・オステンが居なくてもハンスが質問に正しく答えを出せることを確認したということでした。この報告によってハンスが実際に知性を持って自ら答えを出しているのではないかと人々はさらに大騒ぎしました。

世間はこのハンスについて様々な意見を出してはにぎわっていました。稀代の名馬クレバー・ハンスは本当に自ら考えて答えを出しているのか?それとも飼い主や協力者による何かタネが存在しているのか?

1904年9月11日、13名の有志から成る調査委員会が発足しました。メンバーは心理学者のフォン・C・シュトゥンプフ教授を中心に、生理学者や動物学者、サーカスの支配人、退役軍人など馬について知識のある人間があつまりました。

『ウマはなぜ「計算」できたのか』(オスカル・プフングスト著、秦和子訳)によれば、この調査委員会の目的は飼い主であるフォン・オステンによる意図的な合図があるのではないかという疑惑を確かめることであったと言います。

翌12日、報告書がでました。その内容は、現在までに考えられている意図的または無意図的なトリックは確認されなかったというものでした。ただし報告書ではまだ知られていない何かがハンスに影響を与えた可能性がありとして追加調査の必要性を述べるにとどまりました。

続いてシュトゥンプフ教授は院生のオスカル・プフングストとともに追加実験に入りました9月17日から11月29日まで調査を続け、その結果を12月9日に発表しました。

その結果、ハンスは、計算はおろか数字を読むことも、文字を認識することも、音感によって和音を解釈することも、今までできていたと思われることの一切合切ができないことが分かったのです。では一体どのようにしてハンスは多くの聴衆を魅了して止まなかった知性は何だったのでしょうか?

実はこのハンス、並外れた観察能力によって事前に出題者の変化から答えを推測していたのです。これはブラインド法と目隠しをつけての実験が行われ始めて判明しました。

ブラインド法は出題者も回答者も答えを知らない状態で質疑応答をすることです。ランダムにカードを選びハンスだけに見せ、いくつか答えさせた後に初めて皆で確認をするという方法などがとられました。様々な種類の試験をした結果、出題者や周りの人が答えを知っていた際には正答率が90~100%であるのに対し、誰も知らない状態だと10%程しか答えられないことが分かりました。

さらに視界の後ろ半分が見えないような目隠し(馬の視野は非常に広く350度をカバーする)をつけ、出題者が見えない領域に入ると、この場合でもハンスは見えているときには正答率89%に対し、見えてないときは6%しか正答できなかったのです。

驚くことにハンスは答えを知っている人たちの微妙な変化を認識し、自分でも答えが分からない問題に正解を出すという妙技を身に着けていたのです。プフングストは「ハンスは人間の頭の微妙な動きを見分けている」と考えました。数を数えているとき丁度の数字になると人々が自分でも気づかないくらい小さい動きをとってしまう、しかしそれがハンスにとっては十分な合図となり数え上げを終了させていたのです。他の音感や見た単語なども同じように観察者の期待の沿っての行動であったようです。

知性ではなく反射神経や反発力のなせるわざであったといことは、多くの人達をがっかりさせ、当時のスキャンダルとなりました。

飼い主のフォン・オステンは結果を見せられても信じられなかったようです。そしてまた動物に知性があると主張していた人達もまたそうだったようです。

フォン・オステンの死後、ハンスは友人で商人のカール・グラールに引き取られた後も、見世物として暮らしました。

 

この事件の教訓は現在でも心理学の教科書に「クレバー・ハンス錯誤(効果)」、「実験者効果」という名称に残っています。「実験者のある特定の結果があって欲しいという期待が、被験者そのものに影響を与えてしまうこと」を意味します。

 

人間、客観性を維持することは存外難しいものです、ついつい自分中心でものごとを考えてしまいます。それは単なる思い込みであったり、勘違いであったり、その日の気分であったり、こういった多くの事象から自由になれないものです。こうであったらいいなという期待は皆持っているのではないでしょうか。

しかしそこで冷静に現実を見る必要もあるわけです。昨今フェイクニュースや自分に都合のいい解釈しかしないSNSの発言などが頻発する今の時代こそ、クレバー・ハンスの教訓が必要なのではないかと思ってしまいます。

 

今日はこの辺で失礼いたします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

参考文献

『増補 オオカミ少女はいなかった』、鈴木光太郎、筑摩書房

『ウマはなぜ「計算」できたのか』、オスカル・プフングスト著、秦和子訳、現代人文社