庭の隅からお送りいたします。⑥ミノムシあれこれ

庭の隅からお送りいたします。

6.ミノムシあれこれ

 

 寒暖差が激しくなり身体がついて行かず風邪気味のようになってしまいました。これからどんどんと気温が下がっていき本格的な冬がやってきます。人間はファンヒーターやエアコンをつけたり、色々と服を着こめばいいのですが外で暮らす生き物たちにとって越冬は死活問題でもあります。

 夏に繁殖のために訪れたツバメも冬になれば寒さを避けるために南方へ渡っていきます。その逆に日本よりも寒い場所から越冬のために渡ってくるツグミジョウビタキ、ハクチョウなどもいます。

 とはいえ鳥は恒温動物。ある程度の寒さであれば自分で体温を発生させて耐えることができます。しかし、小さな鳥だと身体の体積に比べて表面積が大きいため冷めやすいため維持が大変です。体積と表面積の関係は湯のみに入れたお湯があっという間に冷めてしまうのに、お風呂のお湯がなかなか冷めにくいということを思い浮かべていただければ実感しやすいのではないかと思います。全体に比べ空気に触れている割合が多いほど早く冷めてしまうというわけです。

 逆に考えれば早くお湯を沸かしたければ、体積に比べて表面積の小さな状態の水、つまり細い管に水を敷き詰めて一気に加熱すればいいということになります。つまりは給湯器のシステムですね。

 スズメなどの小型の鳥は食べて10分ほどもしたら空腹を感じるようになっているといわれています。気楽そうと思っていたのですが、常に空腹を感じているのかもしれないと考えると複雑な気分になってきます。

 

 生き物たちは様々な越冬のスタイルを確立させていきましたが、その中でもユニークなのがミノムシです。家の木にも冬になるとたくさんの蓑がぶら下がるようになります。よく見ているとゆっくり蓑のまま移動していることもあります。

 しかし不思議なことに彼らがせっせと木の枝を集めて、今着こんでいるという様子をみたことがありません。気づいたときには蓑を被った状態でぶら下がっているのです。その上ミノムシの成虫もとんと印象にありません。今日はそんな気になるミノムシのお話です。

 

●ガの姿になるのはオスだけ、メスは箱(ミノ)入り娘のまま

 まずミノムシは初夏に生まれて、幼虫の姿のまま厳しい冬を蓑の中ですごし、初夏の頃蛹になって成虫に変化するようです。幼虫の姿は全体的に黒く、顔が茶色、前方が茶色とクリーム色で足が生えています。冬に蓑を開けるとその姿を見ることができます。

 

 その成虫なんですがオスは3㎝ほどの小さなガになります。触覚もシダ植物を思わせる立派なもので、体表も細かい毛におおわれています。

 その一方でメスは足の生えていた幼虫から、脚すらない白くてぶよぶよした幼虫のような姿になってしまいます。あとは卵を無事に孵すのみという徹底的な守りの姿勢です。そうはいってもずっと蓑の中に居てアクションを起こさないとオスに気づいてもらえません。そこでメスはフェロモンを分泌し香りでアピールします。

 何となく王朝文学を思わせる感じですね。女性は姿を見せず御簾の中、声や受け答えで気になった男が夜這いに行くわけです。

 交尾もオスがメスのいる蓑の中に尾を入れて、それをメスが押さえて行います。交尾が終わるとオスは死に、生き残ったメスも卵を産みそれが孵るのを見届けるや、蓑の下の隙間から落ちて息絶えます。

 卵の数は1000個以上とも言われ孵化すると一緒に暮らすのは不可能です。そこで子どもたちは糸を垂らしつつ風にのって旅立っていきます。無事に着地出来たら身の丈に合った蓑を作って生活を始めます。

 

●食事は限られた時期だけ

 オオミノガの場合は秋口、つまり越冬を控えた幼虫の時代にだけせっせと食事をし、それ以降は食べ物を口にしないそうです。それどころか成虫になった時にはオスもメスも食べる口がないそうなのです。

 

●どうやって蓑を作るのか?

 蓑の外側は枯れ葉や木屑がたくさん重なっている様子が確認できます。ではその蓑の内側はというと繊維質で覆われています。ミノムシは自慢の糸でこれらの素材をまとめていたわけです。そのため穴が開いてもすぐに塞いでしまいます。

 そしてこのミノムシの糸、興和先端科学研究所が研究をしており、次世代の繊維を担う素材になるのではないかとしています。軽くてなおかつ丈夫、そしてタンパク質なので石油でつくられた素材に比べて圧倒的に環境に優しい。まさにいいところ尽くしというわけです。

 記事によれば歩きながら糸を吐く習性を利用して、長い一本道を用意すれば数百メートルの糸を回収できるとあります。

 しかしいつまでたっても終わらない道を歩まされるミノムシ……。インドア派な彼らには少々酷ではと思うのは私だけでしょうか?

 

●『枕草子』におけるミノムシ

 最後にミノムシは『枕草子』に出てくるのです。

 虫はすずむし。ひぐらし。蝶。まつむし。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。ほたる。

 みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ。」と言ひおきて、逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ。」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。

という一説があり、拙いですが私の解釈を載せておきます。

 「虫の中でもミノムシは可哀そう。鬼の子だから、お前も親に似て恐ろしい心も持っているのだろうと、親のみすぼらしい服を着させ、「今にも、秋風が吹こうとするときにまた来るよ。待っててくれ。」と言いつけて、逃げていったことも子は知らず、秋風が聞こえる頃、八月になれば、「父よ、父よ」とはかなげにないている、とても可哀そうだ。」

となるわけです。真に受けるとミノムシが鳴き声を上げているようで何か別の虫と勘違いしたのではとも思うのですが、夏と言えば繁殖期。つまりオスがメスの蓑を訪れる時期であり、この時期メスは効率よくフェロモンを出すために蓑の下から顔だけを覗かすことがあるそうなのです。

 このオスを待ちわびるメスの姿、これが泣きながら玄関口に立って父親を待ちわびる子どもの様子と重なったのではないかと考えても面白い気がするのです。

 そして何と言ってもお父さんは立派なガの姿ですが、母親は幼虫の姿つまり子どもの姿なんですよね。鬼の子は、ガの姿になれない母親の子どもという解釈でも良いような気がするのです。

 そしてその幼虫みたいな母親から子どもが生まれると、「お前も鬼から生まれたわけだから…」とまた父親が逃げていき……と、そういうお話を信じていたのかもしれません。

 

 さて想像力たくましく書いてみましたが、本文の「ちちよ」を「乳よ」と解釈している本もありました。こうすると家を出ていったのは母親ということになります。大体昆虫の雌雄を当時の人がきちんと見分けていたかもさだかではありません。なので一つの仮説として考えていただければ幸いです。

 こうやって答えを一つに決めずあれかこれかと考えて見るのも楽しいものです。

 

 ここまで読んでいただきありがとうございました。