ナメクジ 貝殻を失くした巻貝

ナメクジ 貝殻を失くした巻貝

梅雨に入りじめじめとした天気が続くと、いつもは植木鉢の下でひっそりと暮していた生き物たちが、今だと言わんばかりに外出しているのを目にします。

例えばプランターのシソには、てかてかと輝く跡があります。これを辿っていくと、やはり居ましたナメクジです。

 

全長3㎝ほど、背中に焦げ茶色の筋が2本走っています。触覚を動かしながらゆっくりと紫蘇の上を進んでいきます。触覚は上に2対、舌に2対で計4本。実は役割が異なっていて、上が嗅覚と視覚、下が嗅覚と味覚を担当しています。

今日確認できたのはチャコウラナメクジという種類で、漢字で書くと茶甲羅蛞蝓となるように、背中をよく見ると小さな爪のような甲羅を持っているのが見えます。実はこれ元々は貝殻だったものです。ナメクジは巻貝の一種なのですが進化の過程で、貝殻を極限まで縮小してしまったのです。おかげで狭いところでも入り込めるようになりましたが、立派な貝殻をもったカタツムリに比べ見た目で損をしているような気もします。

 

チャコウラナメクジは非常に一般的な種類で、庭の植木鉢をすべてひっくり返しても、この種しかいないというくらいです。ところがチャコウラナメクジ外来種で、しかも1950年代まで確認されていなかったという結構新しいナメクジなのです。

当時はこれよりも一回りは大きなキイロコウラナメクジが家で普通に見られるナメクジだったそうですが、あれよあれよと生息地を拡大し今では家のナメクジと言えばチャコウラナメクジということになってしまいました。

ちなみに最近になって急速に勢力を伸ばしているナメクジもいます。宇高寛子博士の「ナメクジ捜査網」では10年ほど前に日本に入っていたマダラコウラナメクジの目撃情報を日本中から募集しているサイトです。ナメクジの見分け方のページもあります。気になる方は覗いてみてください。

URL

https://sites.google.com/site/udakawebsite/madarakouranamekuji-limax-maximus

 

さて、ナメクジについて無性に気になることがあります。ナメクジは夏の季語でこれを題材にした俳句も多くあります。

例えば正岡子規の「あとはかりあつて消けりなめくしり」、子規は1867年生まれで1902年にその生涯を終えますから、このとき子規がその姿を探していたナメクジはチャコウラナメクジではないのは確かです。

そこで悩ましいのが金子兜太「なめくじり寂光を負い鶏のそば」という句です。仏教用語である寂光は真理の静寂、知恵の働きを象徴する光だそうで、ナメクジの何とも言えぬてかり加減を神秘的に描いています。そしてその側には捕食者の鶏が居ます。次の瞬間、悟りを開いたような神秘さを漂わせていたナメクジがどうなるのか、思わず息をのんでしまう作品です。

金子兜太1919年生れで2018年に生涯を終えました。つまりコウラナメクジの過度期に当たっています。このナメクジはたしてチャコウラナメクジなのかキイロコウラナメクジなのか。どうにも気になって仕方がないのです。もっと言えば甲羅のない正真正銘のナメクジだったかもしれませんし、想像は尽きません。

こうやって色々と想像できるのも俳句の楽しみなのかもしれません。

 

今回はこの辺で失礼します。ありがとうございました。