青空文庫読書日記④ 感想『蠅』横光利一

はじめに

青空文庫には膨大な作品が公開されているため偶然の出会いというのが楽しめます。全体の作家名、作品名を眺めていって気に入ったものを読み始めるわけですが、見知らぬ土地へ気軽に旅行に行くような感じがあって面白いものです。少し残念なのは青空文庫の作品ページにはあらすじが存在しないことで、気になった作品があると辞書やインターネットで検索をかけて大体どういうものか調べています。本屋に行ったとき裏表紙のあらすじやカバーの装丁を見て買うのでそういう情報があると便利さを改めて痛感いたしました。

今回は横光利一の『蠅』です。名前のインパクトで選びました。非常に短い作品なのですが、結末が結末なだけに衝撃を受けてしまいました。

ネタバレ注意をさせていただきます。それでも良い方のみお進みください。

 

作者について

福島生まれの作家です。早稲田大学中退後『蠅』や『日輪』を発表、斬新な表現と構成が認められました。1924年には川端康成中河与一今東光らと『文芸時代』を創刊し新感覚派として活躍しました。後、新心理主義、行動主義と作風を工夫して新しい作品を生み出していきました。

あらすじ

蜘蛛の巣から解放された馬によじ登った蠅を中心に、将棋を指している馭者と馬車の出発を待つ様々な事情を抱えた乗客達の人間模様を書いた作品。

お気に入り部分

「野末の陽炎の中から、種蓮華を叩く音が聞こえて来る」

「種蓮華を叩く音だけが、幽かに足音のように追って来る」

若者と娘が重い沈黙の中、歩いて行くときの描写です。一方がはるか先で音がしていて、もう一方が後ろで音がしています。こういう距離の表現は面白いです。

しかし種蓮華を叩くという表現がわかりません。種蓮華がレンゲソウの種なのか、ハスの種なのか、種つきのレンゲソウまたはハスなのか、それとも種蓮華という植物はたまた道具なのか……分かりません。真夏なのでレンゲソウもハスも花が咲き終わり、種ができているには違いありません。しかしレンゲソウの種は小さいし、勝手に落ちますから叩く必要があるのでしょうか。

すると種ができたハスを後ろからたたけば種がこぼれ落ちるのか、それとも食用にハスの種のかたい殻を叩いて割っていたのか……。もう少し調べる必要がありそうです。何かわかったら追加記事を書くということにします。

 

「馬車は何時になったら出るのであろう。これは誰も知らない。だが、もし知り得ることの出来るものがあったとすれば、それは饅頭屋の竈の中で、漸く膨れ始めた饅頭であった」

馭者は饅頭屋の饅頭を誰よりも先に食べることが人生最大の楽しみだったんですね、当然饅頭屋の女将はこの馭者が饅頭を買ってからじゃないと動かないことを知っているような気がするのですが、ここでは饅頭だけが知っているようです。

「馬車は炎天下の下を走りだした。そうして並木をぬけ長く続いた小豆畑の横を通り、亜麻畑と桑畑の間を揺れつつ森の中へ割り込むと、緑色の森は、漸く溜った馬の汗に映って逆さまに揺らめいた」

「かの眼の大きな蠅が押し黙った数段の桑畑を眺め、真昼の太陽の光りを受けて真っ赤に栄えた赤土の断崖を仰ぎ、突然に現れた激流を見下して、そうして、馬車が高い崖路の高低でかたかたときしみ出す音を聞いてもまだ続いた」 

「しかし、乗客の中で、その馭者の居眠りを知っていた者は、僅かにただ蠅一疋であるらしかった」

「そうして、人馬の悲鳴が高く一声発せられると、河原の上では、圧し重なった人と馬と鉄板との塊りが、沈黙したまま動かなかった。が、眼の大きな蠅は、今や完全に休まったその羽根に力を籠めて、ただひとり、悠々と青空の中を飛んでいった」

重さや堅さが表現された後だと蠅の軽さやしなやかさが際立ちます。

 

感想

馭者と客達がそれぞれ様々な事情を抱えて宿舎に集まって来ます。ある農婦は息子が危篤という電報を受けて馬車がでるのを今か今かと待っています。若者と娘は何から逃げてきたのか大きな荷物を持って不安そうに馬車を待ちます。子ども連れの母親、最近商売をあてた田舎紳士が集まっています。

息子が危篤状態の農婦が急かすのですが、馭者は将棋を指したり、寝っ転がっていたりと動かない。彼はお饅頭をいの一番に買わなければ動かないんですね。他人の事情など関係ありません。

饅頭を買った馭者は遂に乗客を乗せ出発します。しかしお腹いっぱいになった馭者は居眠りをはじめ、馬車は崖の下へと転落してしまいました。

息子が危篤と言ってるんだから早く動かしてあげればいいのに、そうじゃなきゃ何時には出ますと言って安心させてあげればいいのにと農婦に同情し、若者と娘は一体どういう事情なのかと考えてみたり、その一方で幸せそうな子どもや田舎紳士に気を紛らわせ、最終的に落っこちる馬車を呆然と見ていました。彼らが落ちた後はショックで少し読むのが止まっていました。ようやくの思いで読み進めると余裕と言わないばかりに蠅が飛んでいったわけで、この落差は痛快でした。

この小説を読んで初めて蠅になりたかったです。このどうしようもない事態に感情を持たず、あんな惨劇があったにもかかわらず傷一つなく、元気に飛んでいった蠅がうらやましいです。どうにもならないことを色々と考えすぎるのも問題なのかもしれません。

息子の死に目に会えないどころか農婦は死んでしまったのか、これから未来を切り開こうとしていた若者や娘、母と子ども、紳士の命がこんなところで終わるのか、なんともやるせない気持ちにさせられました。

記憶に残る作品でした。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。